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The People vs George Lucas

2010年公開の映画。スターウォーズ3D版の公開にあわせてなのか、心斎橋のシネクイントで夜20:30からやってたので観に行く。さすがに平日だからか客はまばら。10人も居なかったんじゃなかろか。
映画はスターウォーズのファンの、ジョージ・ルーカスとシリーズに対する愛憎を描いたドキュメンタリー。劇中、いろんな人が登場してスターウォーズとルーカスについての感謝、愛情、憎悪、困惑、批判を述べていく。「終りなき戦い」のジョー・ホールドマンと「スタータイド・ライジング」のデイビッド・ブリンが出てきたのにはちょっと驚いた。
映画の中に登場して語っているファン達は確実に俺自身でもある。わかるわかると頷き、一緒に憤り、諦観を共にし、希望を同じくすることしきりだった。「ホントしょうがねーなー、ルーカスはよー。とにかく新しいスターウォーズでは失望させんなよ?早く撮れよ」というのが共通の心理だろう。

劇中、大ヒットしてファンの支持が厚い映画を製作者は”勝手に”改変していいのか、ということが大きな話題となっていた。1977年から1983年に製作されたいわゆる旧三部作を改修した特別編のことである。大事な記憶に強く刻まれていた姿を変えられてしまっては、やはり怒るのも当然と言えるだろう。「Han shot first」のような問題もあるし。
オリジナルのEP4で、グリードに詰め寄られたハン・ソロは、グリードがブラスターの引き金を引くより先にグリードを撃ち殺しているのだが、特別編ではグリードが先に撃って、それに応射する形で撃ち殺しているように変更された。しかもそれが非常に間抜けなシーンに見えるのでファンの不評を買ったのである。ハン・ソロの冷酷さが薄れてしまっているのも問題だとされている。
俺的には、改修は全然問題ないと思っている。むしろどんどん改修して欲しいぐらい。古来より、物語は常に変化するものだから、SWも時代に応じて変化して構わないと思っている。そもそも、いろんな制限で納得してなくて世に出たものを、本人が信じるより良いものに改修するのは作者の特権であろう。SF小説の古典とされる「タイムマシン」も4つほどのバージョンが存在しているし、漫画だと手塚治虫もちょこちょこと自分の過去の作品に手を入れている。最近なら、冨樫義博なんか極端な例である。
むしろ原典に固執しないことでSWの作品世界はより強靭で豊かになる気すらする。例えば、三国志演義西遊記も語り継がれる中でどんどんと変化していった。今現在でもいろんなバージョンの三国志西遊記が生まれているぐらいだ。そのことによって豊かな世界が生まれ、ファンは自分の好みの三国志なり、西遊記なりを楽しむことが出来る。人々に愛される物語とはそういう存在なのである。現在でもSWのファン編集、ファンフィルムがたくさん生まれており、人々を楽しませている。遠い将来、新解釈のSWが別の作家の手によって生まれることもあり得るかも知れない。「ギャラクティカ」のリマジネーション版のようなSWも観てみたいものだ。
「Han shot first」にしても、この間リリースされたBD版では少しマシな形に修正されていたし、「特別編」の時点でも世界観ぶち壊しなアルファベットがオーラベッシュに直され、ライトセーバーの色もベイダーのセーバーがちゃんと赤色になっている。決して改悪ばっかりではない。「Han shot first」のBD版での修正のように、ルーカスはファンの声を全く無視するわけでもないのだ。劇中でも言及されていたように、「ET」や「ブレードランナー」のように、できれば全バージョンを観れるようにしてもらえると、ファンも自分の好きなバージョンを楽しむことが出来ていいのだろうけどね。

多くのファンをがっかりさせたEP1とジャー・ジャー・ビンクスについては弁護のしようがない。ファンの落胆は当然であろう。新三部作など存在しない!と言い切るファンも居た。その気持ちはよくわかる。俺も全部無かったことにする特別編を作ってくれないかな、とすら思うことがある。
でも、旧来のファンの期待には応えきれなかったけれど、これも含めてのSWなのである。評価するところが皆無というわけでもないし。いろんなネタを提供してくれたし、ダースモールやグリーバスはカッコいいし、EP4に繋がるエンディングの夕陽は素晴らしいじゃないか。