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三国志とわたくし

小学生高学年の頃の私は、兄の影響でフュージョンバンドのカシオペアの曲が大のお気に入りだった。兄にLPレコードを借りて都度都度聞いていたものの、プレイヤーを独占させてもらえず、いつでも自由に聞けるわけではなかった。だからテレビ番組のBGMでカシオペアが掛かるとそれだけでその番組が好きになった。
中でもNHKで放送されていた「600 こちら情報部」はカシオペアの曲をよく使ってくれていて、大のお気に入りで必ず視聴するようにしていた。番組の中では他のNHK番組の宣伝も行われており、中学の頃、そこで初めて三国志に出会った。それが「人形劇・三国志」(以下「人形劇」)である。
当時はYMOの人気も高く、「人形劇」はテーマ曲を細野晴臣が担当したことも話題であり、軍勢の表現にコンピューター操演を使っているとか、弓矢の発射装置で実際に矢を射ているとか、人気漫才師の紳助竜介が解説をしているとか、とにかくスゴイ人形劇だと宣伝されていて、それに影響されたのだろうか、なんとなく本編を見始めた。
途中から観始めたせいもあって、最初はなんだかよくわからなかったけれども、当時は漫才ブームであり、人気の紳助・竜介見たさに毎回観ていた。大昔から語り継がれている話なのだとは露知らず、子供向け番組に疎いはずの父親が「ショカツコーメーはまだ出てこんのか」と筋を知っているかのように話すのが不思議に思えてならなかった。てっきり誰かの創作だと思い込んでいたのだった。
当時の私は漢和辞書を愛読していた変な子だったのだが、故事成語の由来に劉備孔明という名前が出てくるのを発見し、「人形劇」の登場人物が実在した人物だとその時初めて知って驚いた。故事成語由来に登場する名前はそれまで単なる記号でしか無かったのだが、突如として姿形を帯び、声を発し、喜怒哀楽を表現する人物たちの行動の結果が故事成語という形で結実しているのだということが解った。
漢和辞書巻末付録の歴史年表で劉備らの活躍した時代を見つけ、今から1800年も前の古代にそのような立派な文化があったことにも衝撃を受けた。手塚治虫の「火の鳥・黎明編」などの影響で、なんとなく2000年前の古代というと未開で野蛮というイメージしか持っていなかったのだった。

辞書で劉備らの名前を見つけた頃、「人形劇」の方は孔明が采配を振るい神算鬼謀を発揮し始めた頃で、そのかっこ良さにすっかり痺れてしまい、それ以降は毎週土曜18:00は欠かさずテレビの前に座って観ていた。いつもは問答無用で阪神戦にチャンネルを切り替える父親も、「人形劇」だけは一緒になって楽しんでくれた。
「人形劇」が放送されていた頃、書店で「三国志」の文字を見つけた。横山光輝の漫画版三国志(以下「横光版」)だった。「人形劇」の出だしを見逃していた事もあって、立ち読みで「横光版」を読めたのはありがたかったが、張飛が督郵を折檻する辺りまでしか置いておらず、宙ぶらりんとなってしまった。
話の続きに飢えた私が次に出会ったのが講談社文庫の吉川英治版「三国志」(以下「吉川版」)だった。立ち読みしてみると筋が全く「横光版」と同じであり、当時はこれが原作なんだと狂喜し、少ないお小遣いをハタいて全8巻を一気に購入して、むさぼるように読みふけった。「人形劇」は毎週土曜にしか放送しないので、早く続きを知りたくてたまらなかったのだ。
ありがたい事に文庫本の付録に色々注釈がついており、三国志全般に渡る事情がおかげでようやく分かってきた(当時はインターネットなんかないから、知ってる人に直接尋ねるか、書物を色々読まないと知識は入ってこないのだ)。吉川英治が「原書」というのは後世になって様々な脚色が加えられた「三国志演義」であり、ほんとうの意味での原典は有名な「魏志倭人伝」を含む歴史書の「三国志」であり、「人形劇」も演義に題材をとっていたことを知り、日中韓で長らく愛されてきた物語だと判った。
そうなると本当の歴史が知りたくなり、「吉川版」でたびたび言及されている「春秋」や「史記」にも興味が及び、ちょうどその頃、三国志を含む中国古代史ブームを当て込んだ旺文社が刊行を始めた「現代視点・中国の群像」シリーズを親にねだって買い求め、これも大いに気に入って毎日毎晩読み返し、枕元に必ず置いていたほどの愛読書となった。
「吉川版」は高校時代通じての愛読書となり、手垢にまみれてぼろぼろになるぐらい繰り返し読み続けた。中国史全般が好きになり、守屋洋の「中国皇帝列伝」などの列伝シリーズも愛読書だった。当時の担任にも薦められ、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」にもハマりきり、こちらは未だに読み返している。おかげで国語・漢文、および世界史の中国史の成績は何の勉強もしなくても良い点をとれた。当時、高校で強制的に受けさせられていた全国模試でも世界史に限ってだったか全国レベルの高得点を取り、校内で表彰されてしまったりした。

いったい、三国志の何に惹きつけられるのか。英雄豪傑たちの華々しい活躍、策士軍師たちの知略を尽くした権謀術策、それらに彩られる数多の人物の栄枯盛衰、艱難辛苦、集合離散。それだけなら「項羽と劉邦」や他の物語にも見受けられるが、三国志が良いのは魏呉蜀それぞれの陣営に将星が揃い、覇を競い合い、勝敗攻防を繰り広げる点だろう。してやったりしてやられたりの連続がドキドキさせてくれるのである。挙句の果てに三国いずれも覇を遂げず、晋に飲み込まれて滅びてしまうという無常さもたまらない。三国というバランスもいい。二国では「項羽と劉邦」になってしまうし、四国以上だと筋がややこしくなる。
「吉川版」に限っていうと、文章が格調高くリズムがとても良い。漢字が多く、難しい語彙も少なくないのだが中学2年生がのめり込めるほど読みやすいのである。第二次大戦のさなかに書かれたにしてはモダンな息吹を感じさせる。全然古びていないのだ。
歴史書としての「三国志」と「三国志演義」との違いを調べるのもまた興味深く、君子然とした劉備が実は無頼漢のような振る舞いをしていたり、公平無私を讃えられる諸葛亮が実は荊州人脈を贔屓にしていたりで、そこに意外さや人間臭さを見出すのが面白い。

「人形劇」以降、漫画とアニメはもちろん映画やゲームなど、色んな三国志がメディアに現れるようになった。筋はもちろん知ってしまっているので、楽しみ方としては人物をどう描くのか、どのエピソードをどういう風に見せてくれるのか、という視点で観るようになっている。曹操が万能の天才であったり、女になった于禁ラオウみたいな曹操に付き従ったり、孔明がビームを放ったりするものもあるが、面白ければ何でもOKだと思う。
私の三国志好きはカシオペアが導いたわけで、三国志に題材をとったゲームの「真三国無双」から派生した「戦国無双」の音楽に向谷実が参加しているのは感慨深かった。