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三国志 Three Kingdoms 27

劉備孫権の妹との婚姻を一旦は勧めた諸葛亮だったが、江東で婚姻を執り行なうと聞いて反対に転じる。婚姻までの間、劉備孫権の元に居住しなければならないため、人質も同然になる。しかし劉備は婚姻を断れば開戦の口実を与えてしまうことを恐れ、孫権との同盟は維持しなければならないと関羽張飛らをも説き伏せ、孫権の待つ南徐ヘ向かうことを決意。
関羽張飛劉備の不在により諸葛亮荊州で自立する恐れがあると劉備に再考を促すが、激怒した劉備に、流浪の身であった我々がここまでの勢力になれたのは誰のおかげかと一喝される。諸葛亮関羽張飛を抑えることは出来ないと胸中を吐露するが、劉備は、その時は趙雲に命じて二人を斬り捨てよと命じ、諸葛亮に全幅の信頼を寄せる。諸葛亮は断じてそのようなことはしないと主君・劉備に忠誠を誓う。
出立の朝、諸葛亮劉備に護衛として帯同する趙雲に、策を封じた錦の袋を三つ手渡す。趙雲は命に従い、南徐の手前、盧江鎮で一つ目の袋を開け、劉備と孫家との縁組に付いて触れ回るようとの指示を実行する。
縁組に付いての噂が江南一体に広まり、それを知らずにいた孫権の母、呉国太の耳にまで届き、孫権は妹を計略の道具にするとは何事かと叱責を受ける。話が広まってしまった以上、劉備を丁重に扱わなければ天下の恥となる為、孫権魯粛を派遣し、劉備を賓客として出迎える。周瑜劉備の暗殺を命じられていた呂蒙はそれを見て手出しできず、復命を受けた周瑜は切歯扼腕する。
怒り心頭の呉国太の召喚に応じた周瑜孫権と面会し、荊州は何としても奪取せねばならないと説き、一連の悪名は全て自分が負う覚悟で、すでに荊州に向けて6万の兵を発したことを告げる。衝撃を受けた孫権周瑜に誰が呉公なのかを問う。周瑜は愕然とし、兵符を孫権に返し、自邸に閉じこもる。
軍を返すよう命じられた周瑜配下の将兵が撤退に応じようとしない有様に孫権は激怒する。しかし呉国太に諌められ、周瑜と和解。あくまで劉備を除いて荊州を得ようとする周瑜に反対する魯粛孫権の不興を買い、軍職を罷免される。周瑜は落魄した魯粛の屋敷を訪れ、魯粛は快く周瑜を迎え、貧窮にも関わらず自らの衣服を費えとして周瑜に酒を振舞う。周瑜は自らの余命が幾ばくも無いことを覚っており、そのため劉備との同盟という悠長な方策を取れないのだと魯粛に心中を吐露する。しかし魯粛はかの曹操ですら赤壁の失敗から周瑜の進もうとする道、覇道の誤りを知り、仁者たらんとしていると諭す。
呉国太を交え、婚礼を行うか否かの議論が朝堂で行われる。30も歳の離れた劉備を娘が気にいるはずがない、甘露寺での面会で娘が劉備を気に入らねば婚礼はなかったこととし、改めて方途を探ろうと決まるが、周瑜は密かに劉備を葬る手筈を整える。
劉備の元を密かに訪れた魯粛は、周瑜の奸計を知らせ脱出を促すが劉備孫権の体面を汚す事になるとそれを拒否。運を天に任せ、花嫁との対面の日を待つのだった。


関羽張飛諸葛亮に心服せず、それを恐れる諸葛亮に義弟達を斬れと告げる劉備の構図はなかなか新鮮だった。
本来錦の袋には喬国老を訪うよう指示が入ってたはずなのだが、どうやら登場しない様子。
俺的には呉妹君とのエピソードを描くぐらいなら、烏丸討伐に尺を当てて郭嘉の死を描いて欲しかったところだが。