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三国志 Three Kingdoms 33、34

下にも置かぬ歓待を受けた張松は感激し、劉備益州を託すため、益州12郡の地図を献じようとする。しかし同族である劉璋に対し、仁義に外れることは出来ぬと劉備は断る。劉備大義名分を欲していたことをホウ統は見抜いており、悲嘆する張松に策を与え、張魯の防衛を劉備に依頼する名目で益州に招き入れさせる。。
まんまと張松に丸め込まれた劉璋黄権らを始めとする部下の反対を押し切り、劉備の軍勢を出迎えるためにフ城に出向く。劉備の陣で宴が開かれ、ホウ統の命を受けた魏延剣舞に事寄せて劉璋の暗殺を目論むが、魏延の殺気に気付いた劉璋配下の武将、張任剣舞の相手として立ち、それを受けて劉備劉璋の配下同士が剣舞に参加しようとする。劉備は鴻門之会にあらずと一喝、益州を奪う野心がないと双方に示し、益州に攻め寄せてきた張魯討伐の任に当たり、劉璋を安心させる。
劉備益州獲りに動いたと見た孫権は、病身の魯粛荊州奪還を諮る。劉備荊州を返すはずがなく、いずれ戦になるとみた魯粛呂蒙を副都督に任じ、戦の障害となる孫権の妹、孫夫人を劉備の元から引き剥がす策を講じる。
使いに来た周善より母の危篤との偽手紙を受けた孫夫人は劉備の子、阿斗を連れて呉に向かうとする。その動きに気づいた諸葛亮趙雲張飛を遣わし、趙雲は阻もうとした周善を一撃のもとに突き殺し、孫夫人を威嚇して阿斗を奪還するが、孫夫人は自害すると脅して帰還を拒み、呉へと向かう。
妻が去ったことを知った劉備ホウ統を相手に大酒して嘆く。仁義に外れて劉璋を攻めることは出来ないが、漢室復興のために誰よりも益州を欲しており、その矛盾に苦しむ劉備の姿にホウ統は覚悟を決める。
ホウ統張松宛の密書をわざと張松の兄、張粛の元へ届けさせ、弟の謀反を知らせる。報告を受けた劉璋は激怒して張松を処刑、その首を劉備のもとへ送りつけ、劉備を討とうとする。
決裂を知った劉備はラク城に向けて軍を進めるが、ホウ統は途中で軍を二手に分けることを提案。劉備の乗馬を乞い、劉備には開けた道へ向かうよう勧め、自身はわざと伏兵の潜みやすい細道へと進もうとする。訝る劉備だったがホウ統の堅い意志に阻まれ、止めることが出来なかった。
伏兵にとって必殺の地形に至ったホウ統は、その地の名が落鳳坡であることを聞き、劉備のための犠牲になれたことを天に感謝し、潜んでいた張任らの攻撃を受け、全身に矢を撃ち込まれて絶命する。ホウ統劉璋に先に手を出させて、劉備益州攻めの口実を与えようとしていたのだった。魏延より悲報を受けた劉備ホウ統の遺志に従い、軍師を殺したことを名目に劉璋との交戦を宣言する。
荊州を預かる諸葛亮は天文の動きから重大な事件が起きたことを察していた。諸葛亮ホウ統戦死の報を受け、劉備がその報を関平に持たせたことから、関羽荊州を預からせようとしていると判断。関羽には「北は曹操を防ぎ東は孫権と和す」との方針を与えて、張飛趙雲を引き連れ益州に向かう。
劉備軍の猛将を防ぐため、黄権張魯の腹心、楊松を利で釣って張魯勢を劉備に当たらせようとする。そして張魯の元に見を寄せていた猛将馬超率いる西涼勢がその任にあたる。葭萌関で迎え撃つ劉備張飛馬超に当たらせる。万夫不当の豪傑二人はいつ果てることもなく一騎討ちを続ける。その鋭鋒を惜しむ劉備を見て諸葛亮馬超を篭絡する策を講じる。諸葛亮は簡雍を使者に立てて楊松に賄賂を送り、馬超に対する讒言を行わせたため、馬超は拠り所を失う。そして馬超は、父の仇を討ち、漢室に奉公する最善の道は曹操を不倶戴天の敵とする劉備に仕えることだと諸葛亮に説得されて劉備に下った。
馬超の降伏後、情勢を不利と見た配下の離反にさらされた劉璋は降伏を決意し、益州牧の印綬劉備に譲った。ついに益州を得た劉備は天下三分の計の第二段階に達したことについて諸葛亮と語らう。諸葛亮益州を安定させるため、劉邦の故事に倣い、法を簡略化することを勧めるが、劉備は却下する。益州は上に法無く下に秩序がない状態が長らく続いており、国家の体を成していなかった。まずは法によって秩序を回復することが急務であるとし、劉備は只の仁者ではなく、君主たる姿勢を示す。ホウ統を失ったことが劉備を一段成長させたのだった。
益州を得て、劉備は配下に恩賞ならびに官位と俸禄を与える。荊州を預かる関羽の元にも関羽を五虎大将の筆頭に任じ、寿亭公とする旨の報が届くが、下ったばかりの馬超と同格なのが気に入らない。劉備の元に関羽より馬超と腕比べがしたい旨の書面が届く。諸葛亮は笑って「(馬超は)美髯公には及ばない」との返書を送り関羽の機嫌をとる。美髯公の名と諸葛亮の褒め言葉に喜んだ関羽は、その書面を複製して荊州に配るよう関平に命じた。
劉備益州を得たとの報を受けた孫権魯粛と相談、まずは交渉で、益州を得たならば荊州を返却するとの当初の約束を果たさせようとし、諸葛亮との交渉役として実兄の諸葛瑾を使者に立てるとともに、諸葛瑾の一族を牢に入れよと命じた。


諸葛亮趙雲張飛が活躍する益州攻略の過程はほとんどすっ飛ばされている。諸葛亮の軍才は未だ描かれぬまま。ある意味史実に沿っていると言えるか。厳顔老匹夫が登場しないのはちと寂しい。