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三国志 Three kingdoms 37

魏王曹操の命により出撃を禁じられ、樊城からの救援要請に応じられず苦悶する徐晃。そこへ曹操が現れようやく呉との共同戦線が整ったことを告げ、徐晃に出撃を許可する。
精鋭を従えた徐晃の猛攻に関羽の陣は破綻をきたし始める。その間に呂蒙は密かに狼煙台を制圧し、荊州を制圧した。そして孫権の命に反して関羽を討つためにその命を奉じる陸遜を遠ざけるよう配下に指示し、一隊を率いて進発する。
荊州陥落の報を聞いた関羽は驚嘆のあまり金瘡が破れ、戦闘もままならず撤退を始める。
関羽追撃を主張して徐晃に押しとどめられた曹彰は剣を抜き、徐晃を斬ってまで追おうとする。そこに曹操が現れ、曹彰を叱責し徐晃に謝罪させる。そして関羽を殺すのは呉に任せ、劉備の鋭鋒をそちらに向かわせるのだと説き、干戈を交えるほどに接近しないよう厳命して追撃を行わせる。
襄陽に援軍を求めた関羽だったが襄陽の守将、劉封孟達はそれを拒否。窮した関羽は麦城に入城する。そこに呉の追っ手が迫り、麦城は包囲される。関羽はなんとか囲いを破るも付き従う兵もわずかとなり、ついに呂蒙に追い付かれ、関平周倉は討ち死に。関羽は青龍偃月刀を地に刺し、髭を整えると剣を抜いて自刎した。呂蒙はその首を斬り、積年の恨みをはらす。
関羽の首級をあげ、荊州を制圧するという大戦果を得た呂蒙孫権に賞賛される。しかし孫権関羽を殺したことで劉備の恨みを買うことをおそれ、曹操の誕生祝いとして関羽の首を曹操に送り、災いを曹操に向けようとした。
呂蒙に成り代わり荊州を預かる陸遜は急遽柴桑へ召喚される。呂蒙が病を得たためその見舞いをせよと孫権に命じられ、呂蒙のもとへ赴いてみるとすでに亡くなっていた。突然の死に驚く陸遜に張昭は呉公の命に反した天罰だと告げる。
孫権呂蒙の後任大都督をいかにすべきか下問された陸遜は、孫権の内心を慮り、今は軍を休める時であり、大都督は必要なく、大都督がなければ副都督も必要ないため、自分も任を降りると答える。孫権はようやく軍権を自らが掌握できる機会を得たことに満足した。
関羽劉備のもとへ亡霊となって現れて別れを告げる。驚く劉備の元に諸葛亮関羽の討死と荊州失陥を報告するも、劉備は声を荒らげてそれを信じず、悲憤慷慨して気絶する。
関羽の首を届けられた曹操は諸侯の礼を持って手厚く葬り、その墓前で関羽に語りかける。主君を過たずこの曹操に仕えていれば、このような事にはならなかったであろうと慨嘆する曹操を頭痛が襲い、昏倒する。
典医も手の施しようがなく、名医の華佗に頼る。召喚に応じた華陀は診察の後、頭蓋を切り開き、脳から病根を取り除けば病は治ると説明したが、曹操はそれを信じず、自らの命を狙うものであるとして、華佗を投獄した。
病床の曹操のもとに孫権から皇帝の位に登るようにとの請願が届けられる。魏の臣下一同もそれを望んでいると説く程イクに対し、余命いくばくもない自分が朝廷を開くなど天下の笑いものになると拒否。そして臨終を悟った曹操曹丕を呼ぶ。駆けつけた曹丕に対し、証拠をあげて曹沖殺しについて問い詰める。頑として認めようとしない曹丕の態度を褒め、魏王を継がせる。曹操曹丕司馬懿を天下の奇才と賞し、諸葛亮に対抗するために必要ではあるが、決して油断してはならんと忠告した後、百官を呼び曹丕を扶翼し大業を成さしめることを誓わせ、薨去した。


このシリーズの劉備関羽はいまいち魅力に欠ける。劉備は礼で外面を覆い隠して君子然としており、なかなか本心を明かさない腹黒キャラだし、関羽は形式ばった儀礼を重んじることが多く、強情すぎてあまり人間味を感じなかった。特に関羽は中国では人気のあるキャラクターであり、強固な定形があるものだから、それをなぞらざるを得ず、逸脱があまり許されないのだろう。
対して曹操は物凄く魅力的なキャラクターを創り上げる事に成功している。人懐っこい笑顔と冷酷果断が同居しており、底知れぬ人物をうまく表現していた。董卓暗殺の頃は自分の中のイメージと合わない感じだったが、董卓追撃に失敗して袁紹に啖呵を切る辺りから、だんだんと馴染んできて、今やこのシリーズの曹操こそがベストなのだと思ってしまうぐらい。
三国志曹操孔明を軸としている物語だと吉川英治版のあとがきにある。曹操の退場に合わせて物語を引っ張ってきたキャラクターが退場し、それを補うかのように孔明の機略が物語を彩るのであるが、曹操劉備亡き後、物語の魅力はどうしても減じてしまう。陰惨な禅譲劇や劉備の大敗で幕を開ける曹操以後の三国志演義は、兵どもが夢の跡、なのである。