妻と結婚する前に、Xperia SX SO-05DからXperia Z3 Compact SO-02Gに変えてから2年以上が経過した。Z3 Compactは持ちやすくて気に入っていたのだけれど、購入時に比べて老眼が進行して、小さい画面表示では何かと辛い思いをすることが多くなった。
お金の節約のためにもう少し使っていたかったのだが、日々溜まるフラストレーションに耐えきれず、機種変することに。
初めて買ったスマホがXperiaで、特に不満もないのでとにかく大きいの頂戴、とドコモショップでXperia XZ1 SO-01Kを購入。
当然、いろいろと性能が上がってるようで、ふとイヤホンを使って音楽を聞いてみた所、めちゃくちゃ音質が良い。
普段、通勤などの際は4年前に買ったウォークマンを使って音楽を聞いているのだけれど、スマホの方が専用デバイスより音質が良くなっている。それに加えてプレイリストの編集など、スマホでアプリを使ったほうが便利なため、ウォークマンはお役御免にした。
学生時代からかれこれ30年以上、ウォークマンのような携帯再生デバイスを欠かしたことはなかったのだけれど、スマホで代替できてしまうとはね。最初はもちろんカセットテープ、その次はMD、そしてハードディスクタイプのiPod、シリコンメモリのiPod Mini、ときて、音質に不満があってウォークマンへシフト。いよいよウォークマンも過去のものになった。
名付けについて
結婚できたら、子どもが出来たら良いなーと、ほぼ諦めつつ過ごしていた長かった独身時代。子どもの名付けを夢想することもあった。今から考えるとカッコつけすぎの恥ずかしい名前なんかを候補にしてたが、それなりにこだわりもあった。
実際に妻のお腹に宿ってからは、名付けは妻と相談して、他の手を借りずにやろうと決めていた。
俺は自身の名前があんまり好きではない。幼いころに父に名付けの由来を聞いた所、近所にいた、占い好きな婆に姓名判断してもらってつけたのだという。俺はそれを聞いたときにがっくりした。父としてはいい名前にしてやろうと思って、占いに頼ったのだろうけれど、俺は自分の名前に親自身の想いや願いを込めてほしかったのだ。
長じてからはオカルト嫌いになったため、姓名判断など論外になったし、振り返って考えてみると、呼ばれにくい(発音しにくい)音だったために、随分損をしてきたようにも思える。友人に下の名前で呼ばれた経験が殆ど無い。だいたいは名字。愛称などなかった。
ここ十年来、ネットで知り合った友人らと付き合うなかで、ハンドルネームのAndersonを名乗っていたけれど、それも呼ばれにくかった。敬称づきで呼ばれるため、音が「あんだーそんさん」となって、なんか言いにくい。どうしたもんかと思ってたら略称で「ダーさん」と呼ばれるようになり、この呼ばれ方は今までで1番気にいっている。
妊娠23週頃に超音波映像で男の子だと知ってから、実際の名付け準備が始まった。俺はできるだけ良い意味の字をリストアップし、あれこれと組み合わせを考えた。
妻は字の雰囲気や姓名判断を気にしていたため、それも踏まえつつ、呼ばれやすくて、なおかつ俺の想いや願いがこもっていて、他の人とは少しだけ特別な名前にしてやろうと、あれこれ相談し合った。その過程では妻とも言い争いになったりもした。
最終的に夫婦で相談して、納得行く名付けが出来たのは良かった。
いつか息子が大きくなったときに、名前の意味や願いを説明してやれることを楽しみにしている。息子が自分の名前を気に入ってくれるといいな。
息子が産まれた。
ほぼ十月十日の妊娠期間の末、息子を授かりました。この日は2018年の最初に観測される皆既月食の起こる日であり、同時に最も大きく見える満月のスーパームーン、更には月食時に太陽の光の加減によって突きが赤く見えるブラッドムーンが重なる日でもあった。巷ではブルームーン(一ヶ月に二回満月が起きること)も重なって「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」とも呼ばれていたが、厳密にはブルームーンではなかったらしい。
歴史上の人物の誕生日では、徳川家康、シューベルト、クンマー(数学者)などと同じ日。
でもそんなことはどうでもよくて、無事に産まれた我が子に会えてほんとに幸せ。
出産には立ち会えず、分娩室から出てきたとこで初対面。ものすごく元気な声で泣いてくれていて、それだけで健康なのがわかった。足の力が強いようで、保育器の中でうつ伏せの状態から、自分の体を持ち上げるぐらいに保育器の底を蹴っていた。体を触るととてもしっかりした体つき。赤ちゃんって、もっと柔らかいものだと思っていたので驚き。体重2640g。小柄だけど驚くほど元気。
そのまま、健やかで朗らかに育ってくれたまえ!
2017年に観た映画
★は5点満点。
映画館で観たもの
- ドクター・ストレンジ ★★★★
- スノーデン ★★★
- ラ・ラ・ランド ★★★★
- 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う ★★★
- ムーンライト ★★★
- メッセージ ★★★★
- ハイジ アルプスの物語 ★★★
- Hidden Figures(邦題:ドリーム) ★★★★
- ブレードランナー2049 ★★★
- スターウォーズ 最後のジェダイ ★★★★
配信やレンタルなどで観たもの
- マーシャル・ロー ★★
- セッション ★★★★★
- キャプテン・アメリカ ウインターソルジャー ★★★
- キャプテン・アメリカ シビル・ウォー ★★★
- アントマン ★★★★
- 月に囚われた男 ★★★
- ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー ★★
- 帰ってきたヒトラー ★★★★
- マイティ・ソー ★★
- マイティ・ソー ダーク・ワールド ★★★
- セトウツミ ★★★
- 殿、利息でござる! ★★
- 英国王のスピーチ ★★★
- マン・オブ・スティール ★★
スターウォーズ 最後のジェダイ
観てきました。実に良かった。元祖三部作をリアルタイムで観ていた世代にはたまらない内容だと思う。
以下ネタバレあり。
ネタバレまでの時間を稼ぐために、前作である「フォースの覚醒」にいたるまでを書く。
スターウォーズは元来、創造主であるジョージ・ルーカスのパーソナルな状況を反映した物語である。そもそもルーク・スカイウォーカーはルーカス自身の投影であり(ルークという名前がルーカスを由来としている)、ダースベイダーは確執のあった彼の父親を象徴しているとともに、ルーカス自身を投影している。ルーカスは若いころ、レーサーになりたかったのだけれど事故にあい、それが叶わなくしまって映画の道に進んだ。ダースベイダーもまた、身体に損傷を負い、望んだ道には進めなくなって捻くれてしまった存在だ。辺境でくすぶっていたルークはルーカスが憧れてやまなかったレーサーのように戦闘機に乗り、サーキットコースのようなデススタートレンチを見事攻略して英雄になった。つまりルーカスの叶わなかった夢をルークに託して叶えたのがEp4なのだ。
Ep5はルークや反乱軍が苦難に遭い、修行をし、そしてルークは右手を失う。これはEp4で監督として苦労し、失望したルーカスの苦い実体験を反映していると思う。ルーカスはEp4が完成した後、その出来栄えに失望しており、公開が始まると、批判や不評を恐れてハワイに逃げていたぐらい、Ep4には満足がいっていなかった。なのでEp5では監督をやりたがらず、師匠であるアービン・カーシュナーに監督を委ねた。つまり、スターウォーズ=ルークを師匠であるヨーダに委ねたわけだ。もちろん、Ep4は空前の大成功を収めているのだけれど、のちにCGを追加して修正を行わざるを得なかったほど、ルーカスにとっては悔しくてならなかった出来なのだろう。ルークの失った右手が象徴するのは、不仲となり、後に離婚した妻のマーシャ・ルーカスか、断念した監督業なのかはわからない。
Ep6は副題が「ジェダイの帰還」となっている。このタイトルはダースベイダーである元ジェダイ、アナキン・スカイウォーカーを象徴しているといわれるが、実際のところ、帰還したのは幾多の経験の末、ゆるぎない地位と自信を得た、ルーカス自分自身のことなんじゃなかろうか。そうでなければ後のEp1で、トラウマともいえる監督業に復帰しようとは思わないはずだ。Ep6でルークはダースベイダーを打ち負かすが、結局のところ、ベイダーもまたルーカスの投影であり、かつての夢の名残でしかない。それもまた、自分自身であると認め、受容し、克服したこと、それが「帰還」の意味するところだろう。
Ep6から10年以上経って制作されたEp1では、思う存分に自分の好きなことをやっていて、本人も自信満々だったのだろう。映画の内容が非常に明るい。Ep4に見受けられた、疲れたジャンク感は一層され、ピカピカでツルツル、そしてゴージャスな情景が連続する。アナキンを子どもにしたのは、かわいがっていた自分の子どもたちを投影したのだろう。映画の中で自分の子どもを大活躍させたわけだ。
しかし、自信満々に送り出したEp1は酷評を受け、ジャージャー・ビンクスは憎悪の対象にすらなってしまった。その酷評のせいと、もはや巨大ビジネスになってしまったスターウォーズのため、Ep2とEp3はしぶしぶ作っている感じで、ルーカスの個人的事情はあまり見えてこない。Ep4に繋げるために大きく路線を変えられないという事情もあったのかもしれない。
そして、ルーカスはルーカスフィルムをディズニーに売却し、映画からもスターウォーズからも遠ざかってしまった。
Ep7である「フォースの覚醒」はルーカスの手を離れているけれども、依然として、ルークはルーカスを象徴している。Ep7は過去に過ぎ去り、隠れてしまったルーカスとスターウォーズ自身を、ファンや製作者たちが追い求める物語なのだと思う。ジャクーに擱座しているスターデストロイヤーやXウィングは伝説になってしまったEp4〜6を象徴している。その伝説の遺物を漁り、その中で暮らし、輝かしい過去の再臨をひたすら待ちわびるレイは、我々ファン自身の投影だ。レイは我々と同じく、新しいビジョンには不安をいだき、尻込みし、逃亡しさえする。
Ep7にはハン・ソロやレイア、ルークが登場しており、彼らへのリスペクトにあふれているが、新三部作にも属しているC3POやR2D2らドロイドコンビの扱いはおざなりである。制作陣は元祖三部作を敬愛しているけれど、新三部作には冷淡なのではないだろうか。
栄光の英雄たちに産み落とされながら、その栄光を台無しにし、殺してしまうカイロレンはジャー・ジャー・ビンクス。そのカイロレンが属し、帝国の残党から生まれたとされるファーストオーダーは、ルーカスが監督したEp1から3までの新三部作といえよう。
Ep4から6の元祖三部作では、血筋があるとはいえ、ルークのような青年でも修行を積み、ジェダイになってライトセーバーを振るえた。神秘的なフォースは誰の中にもあり、誰にでも資格があるように思えた。ところがEp1でジェダイになるには、特別な資質を持ち、幼い頃から訓練が必要で、ミディクロリアンの値がフォースの強さを決めているように描かれてしまい、我々のような一般人には道が絶たれてしまった。
しかし、ファーストオーダーから逃れたフィンは、なんの才能も持たず、勇気のみでライトセーバーを振るい、ジャー・ジャー・ビンクス、もといカイロレンに立ち向かった。これは新三部作への批判だろう。
Ep7のラスト、レイはルークを探し出し、ライトセーバーを差し出して示す。ライトセーバーもまたスターウォーズを象徴するアイテムだ。しかもそのライトセーバーはかつてルークが振るっていたものだ。「スターウォーズ、まだまだ終わりませんよ、どうしますか?」「僕らの作ったスターウォーズ、どうですか?」とルーカスに問いかけているように見える。
そしてEp8。冒頭、ルークはライトセーバーを放り出す。そんなガラクタ、もう関係ない。捨ててしまえと言わんばかりに。これはルーカスを象徴してはいない。Ep8のルークはルーカスではない。元祖三部作を愛していた人たちにとってのルークそのままである。もちろん、ストーリーラインに沿って、隠遁者らしい振る舞いをしているが、終盤の活躍はルーカスとは関わりがない。劇中、ルークが遺し、レイが振るっていたライトセーバーは粉々に砕け散る。もはや過去の遺物や束縛とは決裂し、未来を向くべきなのだ。その使命を担うレイ=俺たちファン(無論、製作者もファンだ)こそが最後のジェダイであり、ラストシーンで示されたように、希望に満ちた幼い子どもたちはレイから受け渡されるバトン、新しい物語を待っている。いつまでも旧作を神聖視し、伝説化し、崇拝するべきじゃないのだ。Ep7でハン・ソロは死んだ。そしてEp8でルークを過剰に追跡し、危険視するほど重要視していた大仰なスノークは間抜けのようにあっさりと殺された。そしてルークは皆を救ってフォースの彼方へ去った。Ep8において過去の伝説は葬られたのだ。
Ep9は束縛から解き放たれた新しい世界が広がることだろう。そしてそれはおそらく伝説の再臨を待ち望むファンからは激烈な抵抗を受けるはずだ。制作陣にはその覚悟があるとみているが、果たして。
キングダム年表
中国古代史が好きなので、現在、週刊ヤングジャンプで連載中の「キングダム」にはずっと注目している。李信と王翦を題材にした漫画といえば鄭問「東周英雄伝」のエピソードがあるのだが、あれを長編大河に仕立てたのはすごいと思う。
この記事を書いている時点では、王翦・楊端和・桓騎らが趙を攻めている段階。作者がどのような展開に料理するのかが楽しみである。
この後の展開が気になるためWikipediaで調べて、キングダムに関連した事跡を年表にしてみた。明らかなネタバレになっているので先が気になる人、史実を知らない人は観ないこと。
とはいえ「キングダム」は史実に忠実でありつつも料理の仕方が大変上手いので、物語の面白さが減じることはないと思う。
年齢と在位は秦王政のそれ。
年齢 | 在位 | B.C | 出来事 |
---|---|---|---|
13 | 0 | 247 | 秦王政、即位 |
14 | 1 | 246 | 蒙驁、王齮、麃公、将軍に任じられる |
14 | 1 | 246 | 蒙驁、晋陽の反乱を制圧 |
15 | 2 | 245 | 趙の廉頗、魏に亡命する |
16 | 3 | 244 | 麃公、韓を攻める |
16 | 3 | 244 | 蒙驁、韓の13城を取る。 |
16 | 3 | 244 | 王齮、死去 |
17 | 4 | 243 | 魏の安釐王死去。信陵君も同じ頃に死去 |
17 | 4 | 243 | 李牧、悼襄王の命により、燕を攻め、武遂や方城に侵攻 |
18 | 5 | 242 | 蒙驁、魏の20城を落とし、東郡を設置 |
18 | 5 | 242 | 龐煖、燕を攻め、旧友の劇辛を敗死させ、2万の捕虜を得る |
19 | 6 | 241 | 秦、魏の朝歌を奪う |
19 | 6 | 241 | 秦、函谷関にて五カ国連合軍を撃退 |
19 | 6 | 241 | 龐煖、魏、楚、趙、燕の兵を率いて秦の蕞を攻めるも落とせず、反転して斉に侵攻し、饒安を取る |
20 | 7 | 240 | 蒙驁、死去 |
20 | 7 | 240 | 秦、魏の汲を奪う |
21 | 8 | 239 | 成蟜の乱 |
22 | 9 | 238 | ロウアイの乱・呂不韋失脚 |
22 | 9 | 238 | 楊端和、魏の衍氏を攻める。 |
22 | 9 | 238 | 楚の考烈王死去。春申君、李園に暗殺される。 |
23 | 10 | 237 | 斉と趙が秦に来朝し、酒宴を開く |
23 | 10 | 237 | 秦王政、大后を再び咸陽に住まわせる |
23 | 10 | 237 | 李斯、他国人追放令(逐客令)を撤回させる |
24 | 11 | 236 | 趙、龐煖に燕を攻めさせる |
24 | 11 | 236 | 王翦・桓齮、楊端和ともに趙を攻め、鄴、閼与などを落とす。 |
24 | 11 | 236 | 趙の悼襄王死去 |
25 | 12 | 235 | 呂不韋自害 |
26 | 13 | 234 | 桓齮、趙を攻め、扈輒を敗死させ、敵兵10万を斬首 |
27 | 14 | 233 | 韓非子入秦 |
27 | 14 | 233 | 李牧、秦の侵攻を撃退、桓齮を敗走させる(肥の戦い)。李牧、武安君に封じられる |
28 | 15 | 232 | 李牧、秦の王翦の侵攻を撃退し、韓と魏の領土を回復(番吾の戦い) |
29 | 16 | 231 | 内史騰、韓から秦に割譲された南陽の郡守となる |
29 | 16 | 231 | 趙で地震が発生 |
30 | 17 | 230 | 趙に飢饉が発生 |
30 | 17 | 230 | 内史騰、10万の兵で韓を平定。韓滅亡 |
31 | 18 | 229 | 王翦、羌瘣、楊端和、趙の井陘を制圧。 |
31 | 18 | 229 | 王翦の策謀により李牧、司馬尚、更迭。李牧処刑される |
31 | 18 | 229 | 楊端和、河内の兵を率いて趙の首都である邯鄲を囲む。 |
32 | 19 | 228 | 秦王政の大后死去 |
32 | 19 | 228 | 魏の景ビン王死去 |
32 | 19 | 228 | 王翦、羌瘣、趙を平定。趙滅亡。 |
32 | 19 | 228 | 羌瘣、燕攻撃のため中山に駐屯 |
32 | 19 | 228 | 楚の考烈王の庶子、負芻が楚の王位につき、李園の一族は誅される |
33 | 20 | 227 | 燕、荊軻を刺客に送るが秦王暗殺失敗 |
33 | 20 | 227 | 王翦、燕を攻め、燕と代(趙の残党)の連合軍を打ち破る |
34 | 21 | 226 | 昌文君、死去 |
34 | 21 | 226 | 韓の旧都で反乱が起こるも鎮圧。旧韓王討たれる。 |
34 | 21 | 226 | 王翦、燕の都を制圧、李信、燕の太子丹を討ち取る |
35 | 22 | 225 | 王賁、楚の北部を平定した後、北上して魏を攻め大梁を水攻め。魏を平定。魏滅亡。 |
35 | 22 | 225 | 李信、蒙恬とともに20万の兵を率い、楚を攻めるが項燕により大敗 |
36 | 23 | 224 | 王翦、李信に変わって60万の大軍で楚を攻める |
37 | 24 | 223 | 王翦、蒙武と楚を攻め、楚王となった昌平君を討ち、項燕を敗死させる |
38 | 25 | 222 | 王翦と蒙武、楚を平定。楚滅亡。 |
38 | 25 | 222 | 王賁、李信とともに燕を平定。燕滅亡。趙の残党である代も滅ぼされる。 |
39 | 26 | 221 | 王賁、李信、蒙恬、斉を平定、斉滅亡。秦、天下統一 |
おそらく連載最大の目玉となるであろう、李信の大敗北や「風蕭々として易水寒し。壮士ひとたび去って復た還らず」をどう描くのかが見ものだし、完全オリジナル要素なサブキャラクター達の運命は作者にしかわからないのでそれも楽しみ。
荊軻の暗殺が成功して、替え玉が始皇帝となり、信は亡き政の中華統一の夢を果たすも…、という展開にしないと史書との乖離が大きくなるが、果たして。
クソッタレな邦題
最近、劇場や配信で観た2つの映画、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」「セッション」について、どうも邦題にムカつくのでそれについて。
「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」の原題は「Demolition」で意味は「(建物などの)取り壊し、破壊、(特権などの)打破」あるいは「解体」である。原題は映画の内容である「それまでの日常及び人生の破壊、解体と再生、再構築、再出発」をそのまま表しているのに対し、邦題は何かロマンチックな趣きを醸し出し、観客をあえて誤導しようとしているとしか思えない、全く不誠実なタイトルとなっている。これには本当にムカついた。タイトルライターは原作に対する敬意を持っていないとしか思えない。こんなタイトルはクソだ。
「セッション」の原題は「Whiplash」で意味は「鞭打ち症」であり、劇中で重要なキーになるジャズの名曲のタイトルでもある。この映画のタイトルは「Whiplash」以外あり得ない。なにが「セッション」だ。この映画で繰り広げられるドラマはそんな生易しいものではない。版権の関係なのかもしれないが、なんとか「Whiplash」に通じるタイトルを探してほしかった。
今まで見た映画の中で1番のクソ邦題である「戦争のはじめかた」よりはまだマシだけれども、ゴールデンラズベリー賞やはくさいアワードのように、クソな邦題を槍玉に挙げて改善を促すような賞とか創設できないものか。