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スターウォーズ 最後のジェダイ

観てきました。実に良かった。元祖三部作をリアルタイムで観ていた世代にはたまらない内容だと思う。

以下ネタバレあり。

ネタバレまでの時間を稼ぐために、前作である「フォースの覚醒」にいたるまでを書く。
スターウォーズは元来、創造主であるジョージ・ルーカスのパーソナルな状況を反映した物語である。そもそもルーク・スカイウォーカーはルーカス自身の投影であり(ルークという名前がルーカスを由来としている)、ダースベイダーは確執のあった彼の父親を象徴しているとともに、ルーカス自身を投影している。ルーカスは若いころ、レーサーになりたかったのだけれど事故にあい、それが叶わなくしまって映画の道に進んだ。ダースベイダーもまた、身体に損傷を負い、望んだ道には進めなくなって捻くれてしまった存在だ。辺境でくすぶっていたルークはルーカスが憧れてやまなかったレーサーのように戦闘機に乗り、サーキットコースのようなデススタートレンチを見事攻略して英雄になった。つまりルーカスの叶わなかった夢をルークに託して叶えたのがEp4なのだ。
Ep5はルークや反乱軍が苦難に遭い、修行をし、そしてルークは右手を失う。これはEp4で監督として苦労し、失望したルーカスの苦い実体験を反映していると思う。ルーカスはEp4が完成した後、その出来栄えに失望しており、公開が始まると、批判や不評を恐れてハワイに逃げていたぐらい、Ep4には満足がいっていなかった。なのでEp5では監督をやりたがらず、師匠であるアービン・カーシュナーに監督を委ねた。つまり、スターウォーズ=ルークを師匠であるヨーダに委ねたわけだ。もちろん、Ep4は空前の大成功を収めているのだけれど、のちにCGを追加して修正を行わざるを得なかったほど、ルーカスにとっては悔しくてならなかった出来なのだろう。ルークの失った右手が象徴するのは、不仲となり、後に離婚した妻のマーシャ・ルーカスか、断念した監督業なのかはわからない。
Ep6は副題が「ジェダイの帰還」となっている。このタイトルはダースベイダーである元ジェダイアナキン・スカイウォーカーを象徴しているといわれるが、実際のところ、帰還したのは幾多の経験の末、ゆるぎない地位と自信を得た、ルーカス自分自身のことなんじゃなかろうか。そうでなければ後のEp1で、トラウマともいえる監督業に復帰しようとは思わないはずだ。Ep6でルークはダースベイダーを打ち負かすが、結局のところ、ベイダーもまたルーカスの投影であり、かつての夢の名残でしかない。それもまた、自分自身であると認め、受容し、克服したこと、それが「帰還」の意味するところだろう。
Ep6から10年以上経って制作されたEp1では、思う存分に自分の好きなことをやっていて、本人も自信満々だったのだろう。映画の内容が非常に明るい。Ep4に見受けられた、疲れたジャンク感は一層され、ピカピカでツルツル、そしてゴージャスな情景が連続する。アナキンを子どもにしたのは、かわいがっていた自分の子どもたちを投影したのだろう。映画の中で自分の子どもを大活躍させたわけだ。
しかし、自信満々に送り出したEp1は酷評を受け、ジャージャー・ビンクスは憎悪の対象にすらなってしまった。その酷評のせいと、もはや巨大ビジネスになってしまったスターウォーズのため、Ep2とEp3はしぶしぶ作っている感じで、ルーカスの個人的事情はあまり見えてこない。Ep4に繋げるために大きく路線を変えられないという事情もあったのかもしれない。
そして、ルーカスはルーカスフィルムをディズニーに売却し、映画からもスターウォーズからも遠ざかってしまった。

Ep7である「フォースの覚醒」はルーカスの手を離れているけれども、依然として、ルークはルーカスを象徴している。Ep7は過去に過ぎ去り、隠れてしまったルーカスとスターウォーズ自身を、ファンや製作者たちが追い求める物語なのだと思う。ジャクーに擱座しているスターデストロイヤーやXウィングは伝説になってしまったEp4〜6を象徴している。その伝説の遺物を漁り、その中で暮らし、輝かしい過去の再臨をひたすら待ちわびるレイは、我々ファン自身の投影だ。レイは我々と同じく、新しいビジョンには不安をいだき、尻込みし、逃亡しさえする。
Ep7にはハン・ソロやレイア、ルークが登場しており、彼らへのリスペクトにあふれているが、新三部作にも属しているC3POR2D2らドロイドコンビの扱いはおざなりである。制作陣は元祖三部作を敬愛しているけれど、新三部作には冷淡なのではないだろうか。

栄光の英雄たちに産み落とされながら、その栄光を台無しにし、殺してしまうカイロレンはジャー・ジャー・ビンクス。そのカイロレンが属し、帝国の残党から生まれたとされるファーストオーダーは、ルーカスが監督したEp1から3までの新三部作といえよう。

Ep4から6の元祖三部作では、血筋があるとはいえ、ルークのような青年でも修行を積み、ジェダイになってライトセーバーを振るえた。神秘的なフォースは誰の中にもあり、誰にでも資格があるように思えた。ところがEp1でジェダイになるには、特別な資質を持ち、幼い頃から訓練が必要で、ミディクロリアンの値がフォースの強さを決めているように描かれてしまい、我々のような一般人には道が絶たれてしまった。
しかし、ファーストオーダーから逃れたフィンは、なんの才能も持たず、勇気のみでライトセーバーを振るい、ジャー・ジャー・ビンクス、もといカイロレンに立ち向かった。これは新三部作への批判だろう。

Ep7のラスト、レイはルークを探し出し、ライトセーバーを差し出して示す。ライトセーバーもまたスターウォーズを象徴するアイテムだ。しかもそのライトセーバーはかつてルークが振るっていたものだ。「スターウォーズ、まだまだ終わりませんよ、どうしますか?」「僕らの作ったスターウォーズ、どうですか?」とルーカスに問いかけているように見える。

そしてEp8。冒頭、ルークはライトセーバーを放り出す。そんなガラクタ、もう関係ない。捨ててしまえと言わんばかりに。これはルーカスを象徴してはいない。Ep8のルークはルーカスではない。元祖三部作を愛していた人たちにとってのルークそのままである。もちろん、ストーリーラインに沿って、隠遁者らしい振る舞いをしているが、終盤の活躍はルーカスとは関わりがない。劇中、ルークが遺し、レイが振るっていたライトセーバーは粉々に砕け散る。もはや過去の遺物や束縛とは決裂し、未来を向くべきなのだ。その使命を担うレイ=俺たちファン(無論、製作者もファンだ)こそが最後のジェダイであり、ラストシーンで示されたように、希望に満ちた幼い子どもたちはレイから受け渡されるバトン、新しい物語を待っている。いつまでも旧作を神聖視し、伝説化し、崇拝するべきじゃないのだ。Ep7でハン・ソロは死んだ。そしてEp8でルークを過剰に追跡し、危険視するほど重要視していた大仰なスノークは間抜けのようにあっさりと殺された。そしてルークは皆を救ってフォースの彼方へ去った。Ep8において過去の伝説は葬られたのだ。

Ep9は束縛から解き放たれた新しい世界が広がることだろう。そしてそれはおそらく伝説の再臨を待ち望むファンからは激烈な抵抗を受けるはずだ。制作陣にはその覚悟があるとみているが、果たして。