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三国志 Three Kingdoms 21

周瑜は投降してきた蔡兄弟を水軍の武将として受け入れ、軍議を開く。席上、宿将の黄蓋周瑜を無能と侮り、痛罵した。周瑜は激怒して処刑を命じるが、諸将の助命嘆願を容れ、棒叩き100回を命じた。黄蓋の背中は裂けて血に染まり、その姿を正視できない諸将の中で、諸葛亮のみ素知らぬ体だった。魯粛曹操を騙すための苦肉の計だと知っていたのなら、計略に協力して周瑜を諫止するふりをすべきだったと諸葛亮を詰った。
武具や兵糧を奪って投降する旨を記した黄蓋からの密書を見た曹操は、一旦は苦肉の計だと見破ったものの、一部始終を目撃していた蔡兄弟からの書状を見て偽降ではないと判断、勝利を確信。攻撃開始日を決定し、戦の前に宴を開き、自ら作した詩「短歌行」を高らかに吟じる。
一方周瑜は長江に吹き渡る風にはためく旗を見て、突如吐血し病に倒れる。薬効の甲斐なく衰弱する周瑜の前に諸葛亮が訪れ、処方箋として「欲破曹公 宜用火攻 萬事倶備 只缺東風(曹操を打ち破るためには火攻め。すべて準備は整ったが東南の風のみが足りない)」と書き示した。周瑜は正しくその通りだと諸葛亮の洞察に瞠目する。曹操の陣に向けて風が吹かなければ火攻めは用いられない。周瑜は窮し心痛のあまり倒れたのだった。弱り切る周喩に対して諸葛亮奇門遁甲の術を用いて東南の風を吹かせようと豪語、七星壇を築いて祈祷を始める。
周瑜は風を待つ間に諸将を差配し攻撃準備を整える。そして天候をも操るような恐るべき存在は江南のためにならないと、東南の風が吹き次第、諸葛亮を殺害するよう呂蒙に指示した。
七星壇での祈祷の甲斐あってか長江に東南の風が吹き始める。周瑜の心中を見抜いていた諸葛亮は一目散に逃亡を図るが、途上、小喬の馬車に匿われる。小喬は夫の命を救った諸葛亮を殺させるわけには行かないと、趙雲が待つ船着場まで送り届けた。
諸葛亮の暗殺に失敗した周瑜魯粛に諌められ、作戦開始を決意、蔡兄弟を屠って戦神に捧げ、黄蓋に出陣を命じる。そして諸葛亮を逃がしたのが我が妻・小喬だと知った周瑜は怒りのあまり小喬を追放した。
劉備の元に戻った諸葛亮は諸将に指示を与え、船団壊滅後に逃亡するであろう曹操の軍勢に追い討ちを掛けるよう差配したが、関羽のみ待機とした。異議を申し立てる関羽諸葛亮はかつて受けた曹操の恩義に惑い、曹操を斬れまいと指摘。関羽はそのようなことがあれば軍法に従って首を捧げると反論、それを容れた諸葛亮曹操の予想撤退路である華容道へ関羽を配置した。心配する劉備諸葛亮は、天文を観るに曹操の命運はまだ尽きないことを告げ、この機会に関羽に恩を返させておくべきであるとし、曹操の仇となって劉備が曹軍すべての敵となるよう周瑜が仕向けている為、その手に乗るべきではないと説明した。
降伏の印である牙旗を掲げて曹操の船団に接近する黄蓋の船団。于禁が兵糧を積んでいるにしては喫水が浅いことを見て、偽降であると見抜いたが時すでに遅し、充分接近した黄蓋の船団は火矢を放ち、油壺を投擲し、自らの船に火を放って体当たり攻撃を敢行。曹操の大船団は瞬く間に大火災に包まれ、長江は紅蓮の炎に照らし出された。
火災は烏林の本営にまで及び、曹操の軍勢は炎に焼かれ、江南軍に追い散らされて四散した。
曹操は大軍を失って僅かな手勢を連れて命からがら撤退するも、必殺の地形に手勢を配置しない周瑜諸葛亮の非才を笑う。しかしその都度、趙雲張飛に襲われて、惨憺たる有様で逃走する。そして華容道に差し掛かる頃、曹操はまたも大笑する。大笑の都度、軍勢が湧き出してきたことを恐れる程イクに曹操は、周瑜諸葛亮ともに曹軍の仇敵となることを恐れて擦り付け合っているのだと看破。自分と共にあれば死ぬことはないと手勢を励ます。そして行く手に見える狼煙を偽兵であるとし、狼煙の方向に進路を取る。その行く手こそ、関羽が配置されていた場所だった。
絶体絶命を悟った曹操関羽の関門突破の折り、六人の将を討たれてもそれを許して黄河を渡らせたではないかと、関羽の情に訴えかける。曹操の手勢も涙ながらに助命を嘆願、その姿と恩義に縛られた関羽は道を譲り、曹操を去らせるのだった。明らかな軍令違反を犯した関羽はそれを報告すべく、諸葛亮の待つ自陣へと向かう。


周瑜がわざと劉備曹操を殺させてその恨みを一身に受けるよう、劉備陣営に向けて撤退するよう仕向けている、というのはうまい設定である。趙雲張飛の襲撃にも曹操が命を落とさずに済んだのはそのためだという、一応合理的な説明になっている。
曹操が短歌行を吟じるシーンは中国語で聞くと、そのリズムが解って良い。延々とオッサンばっかりのシーンが続くため、小喬を陣にともなっていたという設定は良かったのかもしれない。
火計炸裂後の戦闘シーンの迫力は、映画「レッドクリフ」のほうが上。それでも良く出来てる。日本のドラマでは無理なレベル。なんというか、日本の歴史物のドラマにはスゴイものを見せてやるのだという気合を感じない。
お笑いについても、絶対笑わせてやるということができなくなって、笑いものになるバカを晒して受けをとる始末。芸が廃れるのは文化に力がなくなってきている証拠だと思うのだが。