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三国志 Three Kingdoms 32

曹操馬超渭水で対峙する。曹操麾下の于禁張コウ馬超に挑みかかるが武勇に優れた馬超は難なく退け、その様に曹軍が怖じた隙に軍勢を突撃させ、曹軍を壊乱させる。曹操は追跡をかわすために衣を脱ぎ捨て、髭を剃り落とし、身一つで逃げるも馬超に追いつかれる。曹操許チョに危ういところを救われ、命からがら自陣へ帰還する。
敵を侮っていたと反省した曹操徐晃の進言に従い、密かに徐晃率いる部隊を迂回させ、前後から挟み撃ちを試みる。そこへ馬超に援軍が来着したことが伝えられる。不利な情勢に怖じける諸将に、曹操は一気に殲滅して西涼を制圧する好機だと豪語する。
徐晃が背後に回る間、馬超の騎馬隊を防ぐために砦を築こうとする曹操だったが、その都度、馬超に攻められて資材を失う。窮する曹操だったが、程イクの一言で天候を利し、寒気を利用し土を凍らせて一夜のうちに堅固な砦を築くことに成功する。
攻めあぐねる馬超をさらに釘付けにすべく、許チョが一騎討ちを挑みかける。両軍が見守る中、互いに一歩も引かず、延々と死闘を繰り広げる馬超許チョ。その間に徐晃西涼勢の背後に達し、戦機と見た曹操は総攻撃を命じ、馬超は二万の兵を失って一時陣を後退させる。
兵糧に乏しい西涼勢にとって滞陣は不利と説く韓遂曹操との和睦を馬超に勧め、両軍の対峙する中で、曹操韓遂が面会する。曹操は旧交を持ち出し、久濶を叙して親しげに韓遂と談笑する。その姿を怪しむ馬超曹操はわざと曰くあり気に墨塗りにした文書を韓遂に届け、馬超の疑念を煽る。馬超韓遂が内通していると思い込み、韓遂の腕を切り落とし、西涼軍の団結は瓦解。曹操韓遂を支援すると称して軍を進め、馬超を打ち破る。馬超は漢中の張魯の元へ落ち延びて行った。
馬超が加わったことにより勢力を増した張魯を恐れる益州の賢士、張松と法正。張松は暗愚な主君、劉璋を見限り、益州の安寧のため、曹操益州を委ねようとして千里の道を越えて許都へ赴く。
馬超を破り、西涼を制圧した曹操だったが、多くの将兵と兵糧の備蓄を損ない、数年は軍を動かさない方針を固める。そこへ益州より張松が来着したと報が入る。曹操は訪問の意図を掴みかねると称して張松と会おうとせず、6日間放置する。礼を失した扱いに憤る張松はようやく面会できた曹操に対し、憤懣を顕に皮肉を連ね、曹操はそれに怒り、面会の席を退席する。
曹操は許都に軍勢を集めて調練を行い、その勢威を張松に誇示する。張松はなおも曹操に皮肉をぶつけるが、怒った曹操に棒叩きの刑に処せられ、許都を退転する。曹操らしからぬ対応を訝る程イクに対し曹操は、張松の来意は張魯曹操に討たせることにあると明かす。兵糧も少なく、数年は軍を動かさないと決断したため、それは出来ないが、曹軍が弱っていると天下に示すことは出来ないため、軍の勢威を見せつけた上で、わざと怒らせて張松を追い返したのだと内心を明かした。
曹操に失望して許都を去った張松。その行く手にホウ統関羽張飛を従えて現れ、辞を低くしてわざわざ張松を出迎えに来たと告げ、驚く張松を馬車に乗せて荊州へ案内する。襄陽では国賓を遇するの礼を持って劉備諸葛亮が出迎えていた。張松のための宴が開かれ、感激した張松劉備主従らと痛飲する。


渭水の戦いの後の軍議で、曹洪馬超の騎馬隊に対してホウレンソウを用いてはどうかと言う。馬に食わせて突撃を鈍らせるのか?と不審に思い字幕を表示させてみると鈎鎌鎗(コウレンソウ)と書いてあった。槍の穂先に鎌が付いた武器で、馬の足に引っ掛ける事ができるらしい。こんなの。吹き替え用字幕に表示すべき単語だと思う(鈎鎌鎗が一発で出てくるGoogle日本語はどうかしてるぜ!)。
楊脩が張松を出迎えるなど、ほぼ演義に忠実な内容だけれど、孟徳新書の件がなかったのは残念。