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三国志 Three Kingdoms 18

劉備諸葛亮と起居を共にするほど重用するのを見て面白くない関羽張飛は、夏侯惇率いる曹軍来襲の報を聞いて劉備に、劉備が魚、諸葛亮を水に例える水魚の交わりというのなら、夏侯惇を水攻めにしてはどうかと揶揄する。諸葛亮劉備から佩剣と兵符を借り、その威を借りて関羽張飛ら諸将に号令を下し、曹軍に対する陣を博望坡に引く。劉備らが出陣する直前、劉表の子、劉キが新野に劉備を訪ね、蔡一族の陰謀から救ってくれるよう懇願する。劉備は一計を案じて諸葛亮を頼るように勧めた。珍しい書を手に入れたと襄陽の高楼に諸葛亮を誘った劉キは高楼に登った後に梯子を外し、伏して助言を願う。継嗣争いに関与したくなかった諸葛亮だがやむなく一計を授け、劉キに襄陽を出て江夏に入るよう勧めた。諸葛亮が劉キに策を授けている間に劉備勢は諸葛亮の授けた手はず通りに曹操勢を打ち破り、新野に帰陣した関羽張飛諸葛亮への態度を改めた。
曹操勢を退けたものの時を置かず曹操直々に大軍を率いて来襲してくることを予想した諸葛亮は、劉備荊州を奪うよう進言するが、仁義の道に外れる事はできないと劉備に拒絶される。危篤となった劉表自ら死の床で劉備荊州を託されるが、劉備は劉蒅が次ぐべきだと肯んぜず。劉表死後、蔡瑁らは長子劉キを差し置いて劉ソウを跡継ぎとするも、曹操軍50万の南下の報を聞き、即刻曹操への帰順を表明。曹操はやすやすと襄陽に入城し、蔡瑁を水軍大都督に任用する一方、兵力を有しながらも抵抗しなかった劉ソウを軽蔑し、その母と共に許都へ追放した。
諸葛亮は新野城で曹操軍に痛手を追わせたものの、大軍には抗えず、関羽を先行させて江夏へ撤退を目論むも、劉備を慕う民衆を連れての行軍は遅遅として進まず、曹操軍に追いつかれ混乱のなか、劉備は妻子と離ればなれになる。劉備妻子の行方を探す趙雲劉備の子、劉禅阿斗と糜夫人を救い出す。しかし糜夫人は足手まといを恐れて自ら井戸に身を投げて自死趙雲は阿斗をその胸にいだき、敵将夏侯恩より奪った青紅の剣を振るい、曹操の大軍に突撃して活路を開く。趙雲が敵に下ったと誤解した張飛はその姿を見て長坂橋に仁王立ちして趙雲を逃し、追跡してきた曹操勢を大喝、伏兵を恐れた曹操は一時軍を退かせる。
劉備に阿斗を届けた趙雲だったが、劉備は阿斗を草むらに放り投げ、良将を失うところであったと趙雲をいたわる。趙雲は肝脳地に塗るともこの主君に忠義を尽くすことを誓うのだった。
曹操軍に追い詰められる劉備一党は生まれた時は違えども、死す時は同じと絶叫する。諸葛亮はその姿に感銘を受ける。ちょうどその時、江夏から劉蒅の援軍が来着し、劉備は危機を脱した。


孔明のデビュー戦、博望坡の戦いと新野の戦いはセリフで描かれるのみでちと残念。「六合陣法書」は吹替では何を言ってるかサッパリわからん。ほぼ一話まるまる長坂の戦いにあてられており、趙雲の超人的な活躍が描かれる。ボロボロになって劉備に阿斗を届け、劉備が阿斗を草むらになげうって趙雲を労るシーンは、涙なくして見れない。
このシリーズだけではないが、中国製ドラマや映画のアクションでいつも感心させられるのは馬のスタント。日本じゃ考えられんのではないか。