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三国志 Three Kingdoms 22、23

関羽の元を逃れた曹操は這々の体で南郡へと帰還する。数に勝る曹操軍に圧勝した周瑜は、曹操劉備勢が討ち取ったかを確認するため、魯粛劉備らのもとへ送る。魯粛を迎え、戦勝を寿ぐ劉備諸葛亮の元へ、最大の戦果である曹操の首級を手にしているはずの関羽が報告に現れる。曹操を逃がしたことを報告した関羽に対し、魯粛は激怒。その激怒を当然のこととして諸葛亮関羽の処刑を命じる。しかし張飛劉備が桃園の誓いを挙げ、関羽一人を死なせはしないと自決しようとする姿に、魯粛は罪一等を減じるよう諸葛亮に勧め、諸葛亮もそれを容れて関羽を助命した。
孫権周瑜のもとへ報告に戻った魯粛は、周瑜の激怒を買う。しかし魯粛諸葛亮らの態度が芝居であることを承知しており、それでもなお、劉備と手を組まなければ曹操に対抗し得ないと孫権に説いた。
南郡へ戻った曹操は配下を失ったことを嘆く許チョを叱咤激励し、残兵を集めて敗北の理由と今後の戦略を説き、捲土重来を宣言する。その演説のさなか、あろうことか居眠りをしていた文官を見つけ、曹操はその男を牢に投獄した。
獄の中に男を訪った曹操はその男が英才の誉れ高い司馬懿であることを見抜き、自らの一子、曹沖の師として取り立てる。曹操が窮地の今こそ売り出し時であると、司馬懿はわざと居眠りをして見出されることを願っていたのである。
荊州の守備を固めようとしていた矢先、許都の荀イクより、西涼馬騰赤壁の敗戦に乗じて軍を進めているとの急報が届く。曹操は頭痛を催しつつ、9日のうちに許都へ戻る、百官を以て出迎えよと荀イクに返答した。
荀イク曹操の指示に従い、百官に対し南門にて曹操を待つよう指示。曹丕はその知らせを握りつぶし、兄弟の中で自分のみが父・曹操を迎えようと画策する。荀イク曹丕を始め百官整列しての出迎えの場に、末弟の曹沖が現れる。馬騰を牽制するためには曹操の帰還を誇示する必要があるはずで、その為には子息が列席した方が信憑性が増すはずだと見抜いていた曹沖に曹丕は恐れを抱く。
曹操の帰還が遅れ、出迎えが三日間続く。三日目の出迎えには曹沖は参加していない。そこへ曹操が手勢を引き連れ到着したが、刺客の襲撃を受ける。狼狽する曹丕曹操のもとに駆け寄るが影武者であり、曹操は西門で曹沖の出迎えを受け入城していた。曹操の共をしていた司馬懿は、父・曹操ならば刺客の襲撃を予想して南門からの入城を避け、馬騰の襲撃を真っ先に受ける西門の様子を見分するはずだと推理した曹沖の才に敬服し、拝師の礼を受ける。
曹操は出迎えた曹丕曹植曹彰・曹沖らに刺客の処置に付いて問う。城門を閉ざし懸賞金を掛けて行方を追うべきだとする意見に対し、曹沖のみは門を開け放して逃がした方が、曹操健在を馬騰に顕示できると回答し、曹操は我が意を得たりと賞賛した。果たして馬騰は撤退し、曹操は安堵した。曹丕は曹沖の才を恐れ、廃嫡されれば死すしか無いと陳羣に助力を求める。
司馬懿曹丕の意を受け来訪した旧友陳羣に曹沖の英才を問われると、自らの才を包み隠す者こそ英才であると、暗に曹丕を讃える。その夜、曹沖と曹丕が毒鼠に噛まれて重篤となる。知らせを受けた曹操荀イクより、曹沖の傷は鼠ではなく何者かが持ち込んだ毒蛇によるものだと告げる。
曹沖は死に、その葬式での挙措を見ていた曹操は、曹丕の仕業であると悟るが、荀イクにこのことは誰にも言うなと厳命する。
司馬懿は曹沖の死を悼み、三年間喪に服すと曹操に告げる。曹沖の墓の前に佇む司馬懿の前に曹丕が訪れ、三年後に自分に師として仕えるよう依頼して去る。同じく訪れた陳羣は、三年間の間に誰が後継者になるか見届けるつもりなのだろうと、司馬懿の胸中を推察した。


DVD22巻から第4部・荊州争奪編となり、22巻の前半は1〜3部のまとめ映像に当てられている。三国志好きだという吉川晃司がナレーター。
司馬懿が登場。曹操に対する尊敬の念が薄く、非常に計算高い人物として描かれている。曹沖は演義に登場していないため、それに基づいている吉川英治版でも登場しない。史書では曹沖の死について曹操曹丕に皮肉を言うなど、曹沖に関連する話は曹丕の人物を示すいいエピソードなので、これを採用したのは良い判断だと思う。