Look on the Bright Side of Things

Anderson's Blog - since 2005

三国志 Three Kingdoms 28,29,30

甘露寺での謁見に際し、呉国太は娘・孫小妹に、陰から覗き見て劉備を気に入れば吹くようにと笛を手渡す。甘露寺にて孫権・呉国太らは劉備を謁見する。劉備の護衛、趙雲は周囲を取り巻く兵が抜刀したことに気付き、孫権の不義を詰る。しかし劉備はそれを抑え、首謀者であると名乗りでた呂蒙に剣を渡し、江東が自分を恨むのは当然、しかし漢室復興のためには心を鬼にせざるを得なかったと述べ、斬りたければ斬れと促す。逡巡の後、呂蒙が剣を振り上げた刹那、孫小妹は笛を吹き、劉備は一命を取り留める。
婚姻成立となり、甘露寺を去る直前、劉備は大業がなせるならば斬れよと念を込めて一刀のもとに大岩を断ち割る。それを見た孫権も同じく念を込めて刀を振り下ろし、大石を断ち割り、劉備と手をとりあって慶賀する。
婚姻宴席が執り行なわれ、妻となった孫小妹の元へ導かれた劉備は、帯剣した侍女が居並ぶ兵営の如き宿所に驚く。孫小妹は剣で制せられなければ身を許さぬと劉備に勝負を挑む。激しく撃ちあった後、勝負を制した劉備は孫小妹を抱き、宿所で語らい、晴れて夫婦となった。
劉備を殺すつもりが計算が狂った周瑜は、貧窮に育った劉備を贅沢によって堕落せしめ、関羽張飛らとの君臣の和を裂こうとする。山海の珍味や美酒、美姫や財宝を有り余るほどあてがわれた劉備は酒浸りとなり、荊州に戻ること無く年の瀬を迎えようとしていた。心を痛める趙雲諸葛亮よりこの事あらんと手渡されていた錦の袋を開け、その指示に従い劉備を諌める。劉備は激怒し、趙雲荊州に追い返した。
荊州では諸葛亮劉備を救出せんとする関羽張飛らの突き上げに苦慮しており、ちょうどそこに主君の元を離れた罰として諸葛亮によって棒叩きに処せられた趙雲が、再度劉備のもとへ戻ることを報告しに現れ、関羽張飛諸葛亮への信頼を失う。
劉備らの君臣の和が乱れていることを見た周瑜はほくそ笑み、諸葛亮が自立しようとしているとの噂を荊州に流す。それを間にうけた張飛諸葛亮を難詰し、侮辱に耐えかねた諸葛亮は思わず大声を上げて取り乱す。諸葛亮を師と仰ぐ馬謖はそれを慰めるのだった。諸葛亮劉備の帰還に備え、関羽らに気付かれぬよう、馬謖黄忠らを密かに派遣するよう命じた。
趙雲の帰還を迎えた劉備荊州の状況を聞き、江東からの脱出を画策する。全ては周瑜が過激な手段に訴えることを恐れての擬態であり、策に陥ったふりをして荊州の軍備を増強する時間を稼ぎ、合わせて周瑜の油断を誘おうとしていたのである。劉備は妻・孫夫人に事情を話し、同意を得てともに荊州へ脱出を図る。娘の様子から事情を察した呉国太は孫権や呉の重臣を集めて酒宴を開き、孫権を酔い潰す。劉備らの逃亡を知った呂蒙だったが周瑜は柴桑に離れ、孫権の了承なしには軍を動かせない。眠りから覚めた孫権は直ちに劉備の追跡を命じたが、追いついた兵は孫夫人に一喝されて道を譲ってしまう。
ようやく荊州への脱出地点へ到達した劉備一行だったが周瑜待ち伏せを受け、もはやこれまでとなった矢先に、黄忠魏延らの大軍が現れ、劉備は船に乗って脱出。黄忠諸葛亮からの言葉として「周郎妙計安天下,賠了夫人又折兵(周朗の妙計、天下を安んじ、夫人を失い、また兵をくじく)」と兵に唱和させ周瑜を嘲弄する。周瑜は赫怒し血を吐いて落馬した。
一方荊州では動こうとしない諸葛亮に業を煮やした関羽張飛が古参兵を連れて呉への出兵を迫る。頑として了承しない諸葛亮を不義者として嘲罵し、独断で兵を動かそうとした。そこへ劉備が帰還し、三兄弟は再会を喜ぶ。ところが諸葛亮は州牧の印綬を置いて出奔。言いつけを守らなかったことで長兄劉備に叱責され面目を失った二弟は直ちに後を追い、諸葛亮に詫びるが、諸葛亮は頑として受け付けない。窮した張飛関羽と二人して諸葛亮を抱え上げ、無理やり連れ戻す。謝罪を受け入れるまで諸葛亮に近侍し続ける二弟をとりなすために劉備も頭をさげる。諸葛亮劉備に対し、万余の兵を率いるには感情を殺さねばならぬと関羽張飛らに教えるため、わざと怒ってみせたとし、わけても関羽の傲慢さが問題になると告げる。
病に伏せる周瑜のもとへ魯粛を伴い孫権が訪れる。孫劉同盟維持を曹操に示すため朝廷に対し劉備荊州牧に推薦するという。周瑜は同意したが、上奏を受けた丞相・曹操はそれを逆手に取り、劉備荊州牧にするだけでなく、周瑜を南郡太守に任じた。不和を誘う魂胆である。
報を受けた魯粛周瑜と方途を探る。二人は共謀し、南郡進駐後、劉備益州攻めを勧め、孫呉がそれに加勢することとし、それを断るようならば、自らが益州を獲ると偽り油断させ、進軍途中に荊州を奪取する「道を借りて草を枯らす」計を立てる。
荊州牧就任を祝う名目で訪問した魯粛の前で、劉備は同族劉璋が収める益州を攻めるに忍びないと、周瑜益州攻めを容認する。策の準備が整ったことを知り、病身を押して周瑜荊州に兵を進める。しかし諸葛亮は計を見破っており、包囲陣に置かれた呉の軍勢は敗退する。諸葛亮は撤退路を残してあえて周喩を殺さず、呉の軍勢を撤退させた。悲嘆のあまり病状が悪化した周瑜は臨終の床につき、大都督後任に魯粛を推し、周瑜の他に諸葛亮を生んだ天を呪って息絶える。
呉の諸将集っての周瑜の哭礼の会に諸葛亮が訪れる。いきり立つ諸将を制した魯粛は、涙ながらに周瑜の功績を讃え、その死に悲憤慷慨し、敵であるはずの諸将の涙を誘う諸葛亮の姿を見て、傍らに立つ呂蒙にこれぞ真の策士と教える。諸葛亮の弔辞が終わると、一人の酔漢が大声を上げて周瑜を侮辱、嘲弄し、会から叩き出された。すぐに後を追った諸葛亮はその酔漢に劉備のもとへ仕えるよう説く。酔漢の名はホウ統。かつて司馬徽鳳雛と称した逸材である。同じく彼の才を知り、諸葛亮が去るまで陰に潜んでいた魯粛ホウ統を強く誘い、孫権に面会させようとする。しかしそれを読んでいた諸葛亮が先にホウ統周喩を侮辱していたことを呉国太に吹き込んでいたために、孫権への推挙は叶わなかった。
荊州を訪れたホウ統は自らを用いるに足る君主かを見定めるため、偽名を使い劉備と面会する。劉備は才を認めたものの風采を難とし、龍広と名乗るホウ統を小さな県の県令にあてがう。そのまま赴任したホウ統は酒浸りとなって100日あまりも政務を放棄し、劉備の怒りを買う。詰問に派遣された張飛の前で、この程度の政務なら1日もかからぬと豪語、酒を飲みつつも案件を正確無比に片付けてしまう。瞠目した張飛は立ち去ろうとするホウ統を拘禁し、直ちに劉備に報告、劉備は自らの不明を恥じ、夜間にもかかわらず馬を走らせホウ統のもとへ。丁重に詫びる劉備を前にしてもなお去ろうとしたホウ統であったが、劉備の度量に感じ入り、ついに臣下の礼をとる。

赤壁の大敗から復興した曹操は自らの威勢を示す銅雀台を建築、文武百官を招いた宴席を銅雀台にて執り行なうことに。席上にて文武の至芸を競わせんとする。曹丕曹植曹彰ら子弟の前に司馬懿が現れ、当日の題目を伝えようとするが、才は即興にて現れるものだと曹植はそれを拒否して司馬懿を追い返す。あとを追って弟の無礼を詫びた曹丕司馬懿は当日の詩賦の台は「銅雀台」であり、そして題目を伝えさせたのは、それに対する反応も報告せよと曹操に命じられているとることを告げる
荀紣らを始めとする少なからぬ文官武官が欠席するなか宴が執り行なわれ、曹彰は武芸で、曹植は文芸で卓越した才を示す。わけても曹植は流麗な文章で曹操の徳を讃え、その功績は皇帝に匹敵するとの詩賦で嘉し、書簡の賞賛を得る。しかし曹丕は拙い文章で漢の治世を慶賀し、文官たちの失笑を買う。
曹操に賞賛された曹植に祝賀が集まるさなか、ひとり司馬懿だけは曹丕の元へ祝賀に現れる。その意を問う曹丕に対し、銅雀台で謳われた詩賦は天下に伝わるが、曹植の詩賦は丞相を皇帝に推す者たちにのみ喜ばれるものであり、対して曹丕の詩賦は天下の士大夫に向けて書かれたものだとし、その配慮を讃えた。なおも謙遜する曹丕に対し、司馬懿曹丕が前日の深更にいたるまで案を練っていたことを知っており、その時間を掛けて詩賦を二編用意したはずだと推測した。当日、荀紣らが欠席したのを見て、父を称えず漢を讃えたのだと司馬懿曹丕の用心深さを見抜いた。擬態を見ぬいた司馬懿に恐れを抱く曹丕司馬懿曹丕を「潜龍」と讃えその場を立ち去り、曹操の元へ伺候し曹沖の喪が明けたので曹丕の師父となることを告げる。


30巻より第五部・奸雄終命編へ。曹操を始めとするメインキャラクターがどんどん退場していく。この無常感もまた三国志の魅力なのだ。
荊州争奪編ではあんまり曹操が登場してなかったので、正直物足りなかった。なんかこのドラマの曹操には人を引きつける魅力がある。特に笑顔が非常に人懐っこい。
神算鬼謀の諸葛亮張飛に詰られて、怒りのあまり取り乱すなど、他では見られないシーンであろう。関羽張飛諸葛亮に逆らうのも見どころか。