Look on the Bright Side of Things

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バブルの頃

ネットで見たSPA!の記事に、バブル時代の新卒就職活動について書かれていた。残念ながら私が就職活動を行い始める直前にバブルが弾けちゃったので、私自身はオイシイ思いは出来なかったが、当時に友人や先輩から聞いた話、自分も体験した話を幾つか羅列してみる。

  1. 当時は大学側と企業側の協定により、学業に支障が出ないよう、法的拘束力が発生する内定は7月になるまで出さないことになっていた。4回生に上がる直前の3月頃から、企業の調査を始め、4月頃から徐々に会社説明会に入り、5〜6月に仮内定をもらって、7月*1に内定が決定するのが普通だった。
  2. 企業側から学生に是非説明会に来てくれと電話(当時は固定電話)が掛かってきていた。企業側では入社2年目程度の社員が駆り出されて説明会に来させるノルマが決められていた。
    • 私も何社からか是非面接を受けてくれとしつこく電話が入り、断るのに難儀した。1時間以上話したこともある。
  3. 東京本社での面接の際、交通費は企業が丸抱えだった。それを利用し、東京の知り合い宅に泊まりながら数社の面接を受け、全部の企業から交通費、つまり新幹線往復代をせしめて儲けた奴がいる。仮に10社回れば9往復分は丸儲けである。そこまで行かなくても説明会に来た学生に交通費(最低で1000円)を支給するのは当たり前だった。
    • 私の時には新幹線代は半額程度に減額されていたようである。また、無理に東京本社へ呼ばなくなっていた。
  4. 一次面接を突破すると1.5次面接があり、人事担当者に呼ばれて2,3人と会食を行い、その反応を見て二次面接(役員面接)に呼ぶことが多かったようである。その際、フーゾクに連れていかれたり、高級レストラン・寿司屋に連れていかれたりして贅沢が出来たらしい。3次が社長面接で、その間にも接待があった。
    • 私の時も呼ばれるのは呼ばれたが居酒屋だった。翌年にはそういうしきたりは無くなった。その翌年は新規採用自体しなかった。
  5. 複数の内定をもらうのが普通で、企業側も逃げられたくないので断るのが大変だった。とにかく企業は新卒を雇いたくてしょうがなかった。
    • 就職活動に熱心でなかった私ですら2社から内定をもらった。友人たちは5社以上貰っていた様子。バブルが弾けても新卒を確保しようという動きは衰えていなかったようである。
  6. 内定を正式に通告する際、学生が他の企業に逃げないよう囲い込みをするのが普通で(拘束日と呼ばれていた)、バブル景気の盛り上がりとともに年々エスカレートして、企業が費用丸抱えで国内の遊園地であるとか、サファリパークに連れだすとか、パスポートを預かって海外旅行に連れて行くとか当たり前のようになっていた。
    • 私が就職した企業では前年の拘束日は高級ホテルでのフルコースお食事会だったのだが、私の時には中華料理屋にランクダウンしていた。その翌年は居酒屋になった。
  7. 入社直前には新人同士の親睦を深めるため、また仕事内容について理解を深めるための研修として海外研修旅行を行うような企業もあった。
    • 私の時は国内の研修施設で実に真面目な研修を受けた。お辞儀の角度、名刺の渡し方、電話のとり方などなど、口やかましく言われた。楽しい旅行はおろか、翌年には社員旅行すら無くなった(それまで毎年社員旅行で海外に行っていた)。

一コ上迄の人達はいい思いしていいなーと思ったりもするが、私なんかまだいい方である。今の新卒者達は本当に苦しんでる。競争も厳しい分、シビアに鍛えられてていいのかも知れないが。昔が異常だったのかも知れない。

余談ながら、バブル当時からも「面接の達人」という本が受けていたのだが、私は中谷彰宏が大っ嫌いでその類の本は一切読まなかった。参考にしたのはリクルートが出していた企業説明会参加申し込みハガキのついた、企業説明本の巻末にちょろっと書いてた履歴書の書き方と、大学の就職課から渡された資料ぐらいだったと思う。昔からああいう虚仮というか表づらを取り繕う奴が嫌いだったのである。

*1:8月だったかも