Look on the Bright Side of Things

Anderson's Blog - since 2005

マインドコントロール

一昨日歩いていて思い出した話。
昔々の学生時代。当時心酔していた先輩につれられ、とある道場へ通うことに。道場といっても道場生は5,6人程度。先輩曰く、先生は隠れた達人で広告も出してないから、なかなか巡り会えない貴重な人だとのこと。
先輩の言うことだから間違いあるまいとしばらく通ってみた。ある時、道場の中で先生が私に対する批評を始めた。これについては先輩から話を聞いており、大の大人が涙を流して自分の至らなさを悔い、修行のあり方、生き方を考え直す羽目になるという。
先生曰く、私はいい才能を持っているのだけれど、いまいち勇気が足りないとか、物事の本質を見ようとしていないとか、世間知に欠けているとか、礼儀の意味を知らなさすぎて、生活そのものの基本的なことが出来ていないとか、口調は穏やかなものの、散々に突っ込まれた。
私は時々納得いかないことを反論していたが、基本的には立派な先生がそういうのだから、きっとそうなのだろうと素直にその言葉を受け取っていた。
「お前は出来ていない」といわれても、20歳そこそこの小僧が出来てるわけがないと思っていたためだろうか。特段泣くようなこともなかった。そういう私を見て先生は「まだ私の言葉を受け取る準備が出来ていない。これは先輩の指導が至ってないからだな」というような意味のことをいわれた。じゃぁその先輩を指導している先生は至っているのか、とも考えたが、まぁそうなのかも知れないな、と頷いていた。
しかし、聞き逃せないことを先生が言われた。「君がそうなのは、ご両親のあり方にも問題があるからだね」と。
その一瞬から、この人は信用に値しないと思った。本人は洞察力を示したつもりだったのかもしれないが、人の親を捕まえて批判のネタにするなど、何様のつもりだと思ったのだった。しかし先輩の顔を潰すわけにもいかず、その後もしばらく従ってはいたが、いろいろと所用を口実にして顔を出さなくなり、その道場とは離れた。道場の雰囲気も何か気持ちが悪かったし。
あとで色々と知識を付けるに連れ、ああ、あれはマインドコントロールの手口だったんだな、と得心した。
マインドコントロールでは徹底的に対象の拠って立つ根拠を破壊する。自分を駄目な人間だと思いこませるのである。この際、問題の原因を対象に納得できる形で指摘することがある。そこで使われるのが両親だったりする。これは当たり前の話で、長年育てられたり世話になってる上、遺伝的形質を受け継いでいる以上、自分の人格や容姿の構成要素の過半は親から譲り受けたものなのだから、そこを指摘すれば大概の問題は親のせいにできるわけだ。またたいていの人は成長過程で親との葛藤を経験しているだろうから、当てずっぽうで指摘しても何かしら思い当たることがあるのが当然のことなのだ。
その一方で親のせいだといわれると自分は楽になれる。自分のせいじゃないんだと思え、自分が変われば良いんだと思うようになる。そこで依拠すべき新たな価値観を示すと、自らがそれを求めたかのようにその価値観を受け入れ、それを指導したものへの崇敬の念を抱くようになる。こうなると自分がコントロールされてしまっているという認識は起きない。かえって周囲はまだ気付いていない者たちなのだという認識が生まれ、教化を試みようとさえする。先輩が私にしようとしたのもその伝だ。
もっとも、その先生は意図してマインドコントロールを行っていたわけではなかったのだろう。本気でコントロールしてやろうと思っていたのなら、罵倒役や仲裁役を設定したりするなど、もっと強烈なことをされたはずだ。
悩みや不安を抱えていたりするとそういうことに引っかかりがちである。私もどちらかというとそんな質なのだけど、進んで解決しようとは思わないほど面倒くさがりのものぐさ太郎なので、日常生活から真面目に修行に取り組むなんてまっぴらゴメンだと思っている。先輩の先生に取り込まれなかったのはそのせいかもしれない。
ちなみにうちの師匠からは私に対する批評やお叱りはほとんど無い。もちろん技術の未熟な点は指摘されるが、性格がどうの、生活態度がどうのなどは一切言われたことがない。叱られるほど真剣には見てくれてないのかも知れないな。わはは。