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愛国心

最近、教育改革だのなんだので「愛国心」というお題目が目に付く。「愛国心を持たねばならない!」と主張する人たちは、全くの善意からそう言ってるのだろうけれど、残念ながら頭が悪いとしか思えない。
国を愛する心など持たなくて良い。他人や隣人を思いやる心を持つだけでいいのだ。それが社会の中で幾重にも積み重なって総体的に皆を幸せにするのだ。
そもそも「愛国心」という概念は人類の長い歴史の中で、つい最近、ほんの2,300年前に捏造されたものだ。生産力の向上に伴って軍事力の担い手である貴族が没落したのと、人口の増大で大規模な徴兵が可能となり、そいつらをまとめ上げ強大な軍事力として動員するための仕組みとして「愛国心」なるものを創造したのが由来なのである。近代国家とは戦争を遂行するために作られたものなのである。
だから「愛国心」を唱える人たちは大抵、軍備増強をも唱えるのであろう。つまり「愛国心」とは他国に立ち向かうために用意されているものなのだ。
日本語でも「オラがクニ」といった時の「クニ」とはいまだに郷里のことを指すぐらいなのだから、近代になって中央集権が成立した国家・日本を愛する心なんか、つい最近になって拵えられたものなのである(明治維新も列強に対抗するための改革だったものね)。
だから本来、「愛国心」とは自然に発露される心情じゃないのである。教え込まれ、吹聴され、指嗾されて初めて形成される、捏造された心情なのだ。つまりは偽りである。そんな偽りでみんなが幸せになれるはずがない。
そんな偽りよりも、他人や隣人を思いやる心、彼らの立場になれる想像力、共感する心を持った方が、分化が進み、孤独や孤高、孤立を強いられる現代にふさわしいんじゃなかろうか。少し前までは住んでる町の中で知らない人なんか一人もいなかったんだけれど。そんな社会状況で「愛国心」にすがろうとするのは、ますます孤独を深めることになるだろう。