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三国志 Three Kingdoms 16、17

劉表の長子劉キの知らせにより、劉備は虎口を脱したが、劉表は蔡一族の暗躍に心痛のあまり病床の人となる。荊州の名族が集まる祭典で主賓として出席せざるを得ない劉備は再び襄陽へ向かう。途上、一人の士が劉備の乗馬を乗り手を死に導く的盧であると指摘、人に預け災難を避けるべきだと忠告するも、劉備は不仁であるとして取り合わず、祭典に出席した。
蔡瑁は兵を集め劉備の抹殺を試みようとするが、一報を受けた劉備は的盧を駆り逃亡。しかし追っ手を受けて檀渓に於いて進退極まる。覚悟を決めたその時、的盧はまさかの飛翔をみせ、檀渓を越えて劉備を救う。
逃亡の途上、琴の音に惹かれて水鏡と号する司馬徽の草盧へ誘われる。司馬徽劉備に足りぬものは軍師であると指摘、伏龍鳳雛いずれかを得れば大業を成せると教えた。深夜その草盧に司馬徽を尋ねた一人の士の会話に胸打たれた劉備は、その士が的盧の事を教えた徐庶であると知り、懇請して軍師に迎えた。
軍師徐庶曹操の侵攻を一月後と予想、防備を固めるよう諸将に命じたがその言は過たず、曹仁を主将とする軍勢が樊城を拠点として新野城に押し寄せる。曹仁は副将李典の戒めを聞かず、速戦即決を望み、新野城外に八門金鎖の陣を布陣。劉備勢を挑発した。異様な陣形にいぶかる関羽ら将軍たちをよそに、陣を一瞥しただけの徐庶は平然と劉備と茶を飲み、樊城には見事な霊芝が生えているなどと歓談に興じていた。いきり立つ諸将は徐庶を口先だけの徒と疑い詰めかけるが、徐庶曹仁の陣形を看破し、その不備を指摘、趙雲に命じて陣の不備を付いて陣形を乱すよう命じて出陣させた。
鉄壁に見えた曹仁の陣形はもろくも瓦解し、劉備勢にその隙をつかれて曹仁は樊城に撤退。戦勝に沸く関羽張飛らに徐庶は、曹仁の夜襲を予想、直ちに伏兵を配置、散々に曹仁を打ち破る。同時に樊城を奪取し、拠点を失った曹仁を敗退させた。戦勝の報に喜ぶ劉備のもとに樊城から霊芝が届けられ、挙兵後初めての完勝に自信を得たことを徐庶に感謝した。
惨敗の報を受けた曹操は、勝敗は兵家の常であると曹仁・李典らを許し、劉備に神算鬼謀の軍師が付いたことを恐れる。
母が曹操に囚われたとの報に狼狽した徐庶は、劉備と別れ母のもとへ向かうことを懇願、劉備は落胆するもそれを許し、徐庶を見送る。別れ際、徐庶は伏龍が諸葛亮であることを明かし、諸葛亮を軍師に迎えることを勧めた。
許都に着いた徐庶だったが、曹操の偽手紙に騙されて皇叔の元を離れるとは何事かと母に詰られ、意気消沈するのだった。
諸葛亮の居所を知った劉備は、関羽張飛を伴い、諸葛亮の元を三度訪れる。三度目にしてようやくまみえた諸葛亮劉備に天下三分の計を説く。劉備の懇請に諸葛亮は出廬を決意、劉備の軍師となった。
一方、官渡の戦いが行われていた頃、孫策は狩りの途上で刺客に襲われ、瀕死の重傷を負う。命数幾ばくもないと悟った孫策は弟の孫権を招き、後事を託してこの世を去った。周瑜孫策の死を嘆き、宿老張昭らと霊前で孫権への忠誠と江東の安寧を守ることを誓う。
孫策の遺児、孫紹を擁した孫策の夫人、大喬は張昭に継嗣の乱をもたらしてはならないと説得され、子をつれて江東を去った。


徐庶の声はキリコ・キュービィで有名な郷田ほづみ。もっとも、「俺のために死ね」とか「新野の茶は苦い」とか言わない。八門金鎖の陣は曹仁が一度破れてから野戦において披露したはずなのだが。いきなり城門の前で布陣してもなんにもならんだろうに。とは言え、馬に乗った関羽が青龍偃月刀を揮って複数の兵を盾ごと切り飛ばすシーンとか、趙雲が白馬を駆って敵陣に突入していくシーンなどは三国志ファン垂涎の情景と言える。
DVD16巻までで中原逐鹿編が終わり、17巻からは赤壁大戦編へ。いよいよ諸葛亮が出廬し、劉備が天下へ雄飛する。孔明の在所、隆中を三度訪うわけだが、竹林や雪中の情景は見事な美しさだった。CGじゃないとしたら手間のかかることである。出廬の際、寝ている孔明を起こそうと、張飛が本当に草盧に火をつけて燃やしたのには笑った。
呉に対して関心が薄いのは吉川版の影響だろうか、視聴中、どうしてもよそ見してしまう。