Look on the Bright Side of Things

Anderson's Blog - since 2005

ノミネクイネ

週末にOBとして指導しているクラブの学生共と飲んだ。飲み且つ喰らい、大いに語らうのは元気な証拠。鍛えていれば内臓も強くなり、厳しい稽古に立ち向かう覇気があれば快活となる。稽古の後は消耗しているので幾らでも食べられる。自然、大食いの大酒飲みに嫌でもならざるを得ない。もともと、一番新陳代謝が激しく体力が有り余っている時代に身体を鍛えているのだから、食わなければやっていけないのだ。
しかし、長年彼らと接していると、段々と学生が飲まないし食わなくなっているように感じる。生きものとして必要な食欲が薄いのは非常に困ったことだ。とはいえ無理に飲み食いを強いるのは、食は楽しむべしという私の方針に反するので、彼らには苦言を呈するものの、無理強いはしない。
なにより、私自身が現役の時、先輩に暴飲暴食を強いられたのが嫌なので、そんな嫌な先輩のマネはしたくないのである。
当時、宴会の場では後輩は先輩の給仕係をするのが習わしである。席を先輩の間に陣取って、自らの食事はそこそこに、先輩の杯の残量を常に気にし続け、少ないと見るや必ず注がねばならない。しかし、注ぐ際は先輩からの返杯のために、自らのコップを干してからでないと注いではならない。返杯以外でも、注がれる際は必ず杯を干さなければならない。それで一人で何人もの先輩を受け持つわけだから、大量に飲むことになる。そのままでは当然ぶっ倒れてしまうので、折を見ては便所に行き、無理矢理に吐いて酒を外に出してしまわないと救急車のお世話になる。
先輩もそういう経験をしているので、宴も中盤にさしかかるとある程度、後輩の様子をみて「もう空けなくていいぞ」とゆっくり飲むことを許してくれる。
ところが中には必ず暴走する先輩がいて、捉まってしまうとひたすら飲ませ続けられてしまう。逆に潰してやろうともしたのだが、後輩は必ず杯を干さなければならないというハンデがあるため、返り討ちにされてしまってばかりだった。
ある程度そういう先輩に鍛えられて、酒量が増えたのも事実だが、そういう飲み方は酒を玩具にしているのと同様で、食事に対する敬意を欠いている。だからそういうことはしたくないのだが、ある程度、鍛えてやることも必要なのかと、今の学生を見てて思ったりもする。