Look on the Bright Side of Things

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予備校

勤務中、所要で外出し、予備校の前を通った。浪人だったけれど宅浪だった私には縁のない場所だ。エキセントリックだった私は意中の大学・学部以外は一切受けない!と宣言し、たった一回しか入試を受けなかった。滑り止めでさほど興味も沸かないような分野の学部に通いたくなかったのである。当然だったのか不合格となり、あっさり浪人が決定してしまった。
親は予備校に行けと煩かったが、邪魔臭いのと受験産業を利してなるものかという変な思い込みで、断固として宅浪を選択した。だから予備校の中の様子はテレビ等で観るほかは全く知らない。今でも試験をパスするための勉強など無意味だと思ってるし、苦手である。興味の沸かないことは頭に入らないのである。
さて、宅浪中の勉強であるが、私は私立文系を目指していたので、国・英・社に絞って勉強した。
現代国語は本好きなら勉強する必要がないのでパスし、漢文は中国古代史が大好物だったのでこれもほぼ勉強する必要がなかった。なにせ小6の時に漢和辞典を親に買ってもらい、ずっと熟読してて、漢文訓読は超得意だった。問題は苦手な古文だったが、とにかく音読して言葉のリズムを覚え、現代語訳と照らし合わせ、単語を暗記することに務めた。現代の関西弁との共通点が分かってからは割とできるようになった。
英語については読む方は得意だったが、作文がとても苦手だった。これはリズムを体得させてしまうしか無いと思い、TVで放送される好きな洋画をビデオで録画し、副音声の英語に切り替えて聞き取りながら、セリフを発音することを繰り返した。字幕もなんにもないから吹き替え音声のみが頼りだった。そこで結構言い換えが行われているものなんだということが初めて解った。ヨーダ師匠の名言「Do or Do Not. There is no try.」を覚えたのもこの頃である。また、ペーパーバックを買ってきて辞書片手にそれを訳してみたりもしたし、洋楽を歌ったりもした。やってみて解ったのは、それまで受けた英語教育は糞だったということだ。This is a pen.とかHe plays the guiter.とか言わせるよりLet it beやTop of the Worldでも歌わせたり、英語で劇をやらせたほうがよっぽどとっつきやすく、頭に入るし簡単だと思うのだが。40人学級では無理な相談だったろうけど*1
社会については世界史好きだったし、ものすごく得意だったので苦労した覚えはない。立命大の入試問題にかならず一つ用意されている超難問ですら答えれたぐらいだ。どんな問題だったかは覚えていないが、参考書や教科書には絶対載っていない類いの知識だったと思う。たまたま読んでいた中国史についての書籍に載っていたのである。それでも勉強は必要だろうと思い、中公文庫の「世界の歴史」全16巻を2、3回通読した。あとは赤本などの問題集を解いて弱点を確認した程度だ。山川から出ていた世界史資料集は愛読書だった。試験には出ないだろうという余計なこと*2が書いてあったのがお気に入りだった。
そんな勉強をずっと続けて、合間に漫画書いて、家の仕事を時々手伝って、受験直前にはメガドライブで遊んで、一回も模試を受けることなく大学受験。関学・関大・立命を受験しいずれも合格。落ちてたら専門学校に通うつもりだったのでホッとした。

*1:これは邪推なのだが、40人学級が堅持されたのは、費用や育成の面もあろうが、クラスを増やす→教師が増える→日教組が拡大するという構図を自民党が嫌がったからではなかろうか

*2:ベトナム阮朝最後の皇帝バオダイがナイトクラブの帝王であるとか