Look on the Bright Side of Things

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インターステラー

クリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」を梅田東宝で観た。
以下、ネタバレあり。



話の筋は、近未来、地球が徐々に人類の生存に適さなくなってきている状況下で、宇宙開発をしている状況でもなくなり、農家として暮らす元宇宙飛行士の男が主人公。作物も育ちにくくなり、先の見えない毎日の中で、主人公の娘が自室でポルターガイストのような謎の現象に出くわす。それは本棚から本がある意図をもって落ちるというものであり、それは謎の存在からのメッセージだった。
主人公がそのメッセージを解き明かすと、それはかつてNORADが存在していた座標を示すものだった。娘とともにそこに向かう主人公は謎の集団に拉致される。その集団は解体されたはずのNASA。地球環境の悪化に伴い宇宙開発などしている状況ではなかったはずなのに、彼らは密かに宇宙船の建造を行っていた。彼らは土星の近傍にワームホールを発見しており、そこを通って居住可能な天体を探索し、人類の移住、もしくは蒔種を目論んでいたのだ。主人公はその経験を活かし、プロジェクトに参加することとなったが、それは愛する娘との別離を意味していた。

という設定から始まるSF映画なのだが、スイングバイやら重力による時間の遅れやら、裸の特異点やら事象の地平線やら、一般向けには難しそうなSF設定をぶち込んでて、一般客がついてこれるかちょっと心配。
映像は必見レベル。監督は「2001年宇宙の旅」を意識していたらしく、星のない漆黒の宇宙空間とか、巨大な天体を背景にして宇宙船が点にしか見えないぐらいの引きで撮った画像とか、とても美しい。デジタル撮影ではなくフィルム撮影というのも「2001年」を意識してこだわってるんだろう。物理学者のキップ・ソーンが監修していて、物理学的にも正しい映像になっているそうな。
SFファンとしてはよく撮れたねーと感心する一方、ご都合主義が過ぎねぇ?と気になる点も。

一番気になったのは、異星を甘く見過ぎじゃねぇのという点。全く異なる環境に大した調査もせず着陸を試みるとか、ありえねーだろと。お前ら台風を甘く見て日本に攻め込んだ元寇かと。日本近海ですら、一年間観察しなければ台風の存在は解らない。ましてや全く環境の異なる異星を理解しようとするなら、最低でも10年ぐらいは無人探査機なり人工衛星なりで観測し続けないとダメだろ。この地球でさえ、5000年以上の記録を持っていても、火山噴火や地震予知が出来ねえんだからよ。

そういった、探査計画に緻密さが感じられない、ってのがすごく引っかかった。ワームホールの出口が固定されているらしいので、そこに前哨基地作って、無人探査機を飛ばしまくるのが妥当でしょうに。序盤でプレデターが出てきたのはその伏線かなあと思ってたんだが。

つづいて、土の問題。まあこれは移住計画自体がまやかしだったと明かされているので突っ込むべきではないかもだが、土地があれば作物が育つなんて大間違い。土というのは生命が関わっていないと成立しない。生物の死骸、バクテリア、微小昆虫、などなどが複雑なネットワークを形成して初めて作物を育てる土壌に変化する。更には雨やら気温やらが土を育てる条件に適していなければならない。栄養ぶちこんだらええんやろ、と言うのは誤り。土自体を育てるところからはじめなければ農業は成立しない。農業が成立しなければ移住には適さない。
そして土を育てるのは一朝一夕では出来ない。テラフォーミングには時間がかかるのである。

もっとも、そんなこといってたら、この映画は全く成立しなくなっちゃうけどね。SF的なシチュエーションを借りて、時を超える人間の絆を描きたかったんだろうしね。

本棚がメッセージを発している、というシーンが有った時点で、これは主人公か娘が時空を越えて過去にメッセージ送ってんだろうな、という察しがついた。そうでなければ必然性がないからね。どういう理由付けをしてくれるかなーと思ってたら、未来人が関与してるとかいう安易な解決法だったのでちょっとがっかり。

俺的には探検の苦難は描く必要なかったように思う。もっと探査の難しさ自体を描いて、ブラックホールスイングバイの際の自己犠牲程度で済ましておくべきだったかなと。