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三国志 Three Kingdoms 14

袁紹は70万の大軍を動員して出陣式を催し天地と先祖に曹操の撃滅を誓う。その席上に獄中の田豊より出陣を諌める書簡が届き、激怒した袁紹田豊の処刑を命じるが許攸に止められ、凱旋の後に処刑することとして出陣した。その報を受けた曹操は文武諸官の前で袁紹に対する優越必勝の理由を明らかにし、8年前よりこのことあるを予想して育成に努めてきた7万の精兵で蹴散らせると豪語、官渡への出陣を命じた。
官渡に到着した曹操袁紹の軍勢が西を向いて布陣したことを確認すると曹仁に軍の差配を命じ、袁紹の陣の目の前に茶の席を設けて、袁紹を招いた。大軍を背後にして正々堂々と招きに応じた袁紹を前に曹操は茶や酒を勧めてひたすら卑屈に和議を乞う。長びいた交渉が成立しようとしたとき、曹操は太陽の位置を確認すると袁紹に悪態をついて呵々大笑する。これ全て太陽が西に傾くまで開戦を引き伸ばし、逆光の不利を袁紹に強いる曹操の奸計だった。まんまと計に陥った袁紹の軍は背後からも奇襲されて大混乱となり、曹操の軍に散々に打ち破られ撤退を余儀なくされる。
曹操の必死の督戦も虚しく緒戦では袁紹の抹殺には至らず、後方で陣容を立て直した袁紹田豊の進言を取り入れるべきだったと地団駄を踏み、前言を撤回して助命しようとするが許攸の讒言を信じて田豊に自決を命じる。袁紹は愚昧な主君ならば死を命じて当然のことと予想しており、袁紹宛の遺書を獄吏に託すと従容として命を受け入れて自決した。
曹操は未だ強大な袁紹勢を前にして自軍の兵糧不足に弱気になり、緒戦の勝利を戦果として軍を引くべきかどうか、許都を守る荀紣に書簡を送って尋ねるが、時が利するのは袁紹であって曹操ではないと励まされ曹操は徹底抗戦を決意、密使を徐州に送り兵糧を得んとした。しかしその密使は許攸の手に落ち、袁紹のもとへと知らせが届けられる。だが袁紹は郭図の讒言を信じ、許攸を疑い始める。弁明に務める許攸だったが、田豊も遺書で許攸を讒訴していたため、ついに袁紹の信を失う。愚かな主君に愛想を尽かした許攸は曹操の陣を訪うのだった。


このシリーズでは沮授や逢紀、審配が登場しないため、田豊を助けたり、讒訴して貶めるのは許攸と郭図がその役に充てられている。俺の印象では讒訴といえば郭図だったので、田豊を助けようとしたのは妙な感じだった。妙な感じというと、曹仁が軍における曹操の右腕的扱いで夏侯惇夏侯淵許チョ張遼より上官的存在なのよね。たしかに後年大司馬になるぐらいの人物なんだが…。
曹操が奸計を用いて袁紹を欺き、計がなって袁紹に悪態をついて自陣へもどるところが最高。すげー嫌らしい。馬車での戦闘がじっくり描かれているのもポイント高し。許攸に対する郭図の讒訴の内容が許攸とその息子による兵糧横領というのは史実を少し脚色してある。
官渡の戦いというと演義や史実では砦にこもる曹操軍を袁紹軍が攻囲するのだが、その姿は描かれず。劉備も後方で曹操の妨害をしてるはずなのだが、袁紹の撤退を助けに現れるのみ。ずいぶん様相の違った「官渡の戦い」である。