Look on the Bright Side of Things

Anderson's Blog - since 2005

近畿梅雨明け

長かった梅雨がようやく明けた。しかし、明けたとたんに猛暑。ものすごい湿気と熱気に参ってしまいそう。退社後、背広を買ってから歩いて帰ろうとしたのだが、暑さでへばり、コンビニへ避難。雑誌の棚をみるとガンダムエースの最新号が封も掛けずにおいてある。富野と安彦の対談を読むために買おうと思ってた奴だ。これ幸いと立ち読みする。
富野作品で好きなのはガンダムイデオンのみ。後のはどうもいけない。ザブングルはかろうじて許せるが、ダンバイン以降は観ていてイライラする。そのガンダムも初代以外は認めないし、俺はイデオンの方に深くハマった。
イデオンには感情移入できる人物が存在しない。つまり純粋にイデを取り巻く状況を描くことに力点が置かれている。だから死ぬ奴はあっさり死ぬ。何の印象も残さない。まるで歴史書に書かれているような死に様である。唯一ドラマティックに描かれたキッチンの死も、TV版ではコスモに知られることもなく過ぎ去っていく。劇場版の発動篇では割とドラマティックに主要キャラクターの死に様が描かれるけれど(それでもあっさりと死ぬ)、次々と死んでいくために印象は相変わらず薄い。
対してガンダムは登場人物の死に対する悲しみがじっくりと描かれる。主要キャラクターで一番最初に死んだガルマには国葬まで行われる。さらにマチルダリュウ、ミハルには感情のこもった弔いの時間をあたえ、印象を強めている。なんか,それがベタベタしてて嫌なのである。登場キャラクターと同じ感情を持たせられるような押し付けがましさを感じてしまう。
イデオンの方は感情移入が行われないために、そういう押し付けがましさがない。そこがあっさりしてていい。イデオンでもシェリルの妹、リンの死に際して葬列が描かれるが、あれは死を悼むよりはむしろ、ソロシップの人々がどこにも受け入れてもらえず彷徨う苦しみを象徴しているシーンである。リン自体、最初から印象の薄いキャラクターだったし。
ガンダムにしろイデオンにしろ登場人物が多いのだから,いちいちそいつらに心を寄せるようなしんどいまねはしたくないのだ。これがダンバイン以降になると多数の登場人物に共感&反感を持たなければいけなくなるのでしんどさがいっそう増す。
ガンダムの場合、当面の主要な敵人物が少ないのでまだ助かるのだが、ダンバイン以降は同時に多数の主要な敵が入れ替わり立ち替わり、ドラマをしょって現れてくる。それがせわしなくていけない。ガンダムで例えるなら、ガルマが死ぬまでにシャアとランバラルと三連星とドズルとマクベが同時に入れ替わり立ち替わりドラマをしょって登場するようなものだ。落ち着いてみていられない。
ガンダムエースの対談を観ても、比較的落ち着いて話している感のある安彦に対し、富野はベラベラと饒舌な割には言い訳ばかりしているような印象だった。イデオン以降、彼はどこかで壊れちゃったのかもしれない。