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生命観について

Amazonの発注履歴を見ていて、そういえば感想を書いていない本があるなと思い出したのでちょっと書く。去年の6月頃に読んだ「生物と無生物のあいだ」についてだ。買って読んだけど述べてない本は結構ある。インパクトの強かった本を記録する傾向があるのだが、決してインパクトが弱いわけではないこの本については何故か書く気にならなかった。
それはこの本によって認識した生命観が、俺には当たり前の事だったからだ。受け取り産みだし伝えていく、取り込み消化し排泄する、それが生命の本質だと以前から思っていた。今の私は肉体的にはこれまでに飲み食いし、呼吸してきたものから構成されている。それを身体の中で再編して肉体を構成している。つまりどんどん入れ替わって行っている。精神も同じでこれまでに見聞きし体験した事柄を頭脳によって再編して常に更新している。忘却も手伝って精神的にもどんどん変化している。
私でなかったものを私にし、私であったものをどんどん捨てて行っている。それが生命のあり方なのだ。大局的に見れば宇宙の中で循環している。その循環のなかで局所的かつ特徴的に形を一定期間以上とどめて上記の活動を行うのが生命。それをボンヤリと悟ったのは手塚治虫の漫画から。他の漫画でこういう概念というかインスピレーションを得た事はいまだにない。
そんなわけだから前世とか来世、死後の世界とかは私にとって世間一般とは別の意味で捉えられている。私の直近の前世は今日食べた昼飯の野菜炒めとお米であろうし、誰かが吐いた酸素でもあり、精神的には昨日弾いたピアノの曲や上司からのお叱りでもあろう。勿論それ以前からずっと取り入れ続けているもので私は構成されているから、それら全てが私の前世。来世はもちろん私が排泄したもの。今頃どこかの何かに取り入れられて別の存在になっているだろう。死後の世界といえば、私の身体は全て分解されてこの世界に溶けて拡散し、いろんな何物かに姿を変えるのだろう。精神でいえば私からなにがしかの影響を受けた人の一部分として溶け込み、それも拡散していく。私自身がそういう拡散したものの集積の結果なのだから。つまり自己なり私なり存在なりは変容しつつも必ず受け継がれていくものだということ。我々は最初から永遠を約束されているのだ。
この本はそういうことを考えるキッカケにはなるだろう。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)