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現代歴史学と南京事件

表題の本を買った。南京事件に関する書籍を買うのは2,3年ぶりぐらいだ。某所で論争に巻き込まれてしまい、やむなく資料集めをしていたころもあったのだが、資料を基に話をしようとすると、「お前は資料に頼りすぎだ」などと学問の手続きを無視するようなことを言われることや下品な罵倒が多く、飽きたこともあってその論争からは退散してしまった。
昔、大学のゼミでは研究の際、資料に基づいて説を立て、自分でその説を壊してみて、さらに資料を集めて補強して、また壊して補強して、こんどは他人に壊して貰って、ということを延々繰り返したのだけど、そういう手続きを踏んで真理に到達しようとする作業をしてない人からすれば、思いつきあるいは自分の考え=真実だとお手軽に思っちゃうんだろうな。
問題なのは事実があるか無いか、事実認定の手法に誤りがないかだけであって、日本人がそんなことをするわけがないとか、お前は自国を悪く言うのか、などという感傷は無用なんだけど、そこにこだわる人は最初から事実などはどうでもいいのだろう。そういう人を説得するのに論理や証拠で認めさせようとするのは期待薄で、どうしてもというのなら心情、あるいは宗旨を変えさせるほかは無いのだが、面と向かっては言えないような罵倒が飛び交うネットではそれも叶うまい。
よく使った手としては、

  1. 絶対に相手の罵倒・非難をしない。受けた罵倒は聞き流す。
  2. 長い文章は書かない
  3. 相手を善人だと思って気安く話せるよう努める
  4. 些末なことでは争わずウヤムヤにする。
  5. 相手を追い詰めたり、問いつめたりしない

彼らが欲しいのは事実じゃなく、美しい記憶なのである。つまり癒されたいのだ。癒されたいと願ってる傷ついた相手に向かって、塩を塗り込むような真似をすれば、激烈な反抗を産むであろう。そもそも冷静じゃないから、長い文章なんか読んでくれないし、読むにしても粗を探しに掛かるような態度しか取ってくれない。こちらも完璧じゃないのだから、長い文章を書くと些末な点で粗を出しかねない。あいてにエサを与えるような真似をするべきじゃない。
なかには長文を送りつけてくる奴もいるけれど、全部に答えると手間だしキリがないので要点を2行ぐらいで簡潔に書いて返事し、肩すかしを食らわせる。向こうにしてみれば張り合いがないので次からは長文を送ってこなくなる。
相手はハナからこちらを敵だと思ってるので、時々おどけたりして敵意を鎮めないと、話を聞いてもらえない。テクニカルタームが飛び交う話をすると、ついて来れなくなるので、なるべく大筋で話をし、基本的な点のみで合意の形成を図る。いついつまでに答えろとか、前回の回答を頂いていない!などと追い詰めるのは敵意を煽るだけなので、やめた方が良い。相手が答えられないところは玉虫色にしておいていい。自分が答えるべき所も本筋に関係ないのならウヤムヤにしてていい。
無論、これらの手法が通じない、対話不可能な不誠実きわまりない輩もいるが、大抵はおとなしくなってくれた。まぁ、こちらの主張に一考の余地があると思って貰えば成功と見て良いだろう。

現代歴史学と南京事件

現代歴史学と南京事件