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項羽と劉邦

戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る (岩波アクティブ新書)」を読み終わった。戦時中の食糧難、と一言で言うけれどそれには様々な理由があったことが述べられていた。それは、

  1. 農業生産の担い手を兵隊として駆りだしたこと。
  2. 燃料や輸送手段の軍事利用優先により、都市への食料供給が後回しにされたこと。
  3. 植民地間の海上輸送が破綻していたこと。

等が挙げられる。旧日本軍の兵站軽視は盛んに言われていることだが、あらためて戦中銃後の食事事情を見ると、実感としてそれが伝わってくる。
乏しくなったのは食料だけでなく、燃料も、生活資材もすべて配給制としなければならなくなった。戦争末期には釜で煮炊きをしようにも燃料が乏しいから、煮立った段階で火を止めて鍋をおろし、布団を詰めた箱の中に鍋を突っ込んで保温し、余熱で仕上げるという「火無しコンロ」なるものも登場した。
肉の配給がまだあった頃もおいそれとそのままでは食べさせてもらえない。まず肉の表面を焦がして鍋に入れてダシを取り、スープを作る。作ったあとの肉は取り出して、あとで団子に混ぜるなどチビチビ使うために保存しておく。
やがてそんな肉も手に入らなくなり、物資はどんどん欠乏していく。しまいには雑草や虫を食うマニュアルまで配布していたのだから、すでに飢饉と同じ状況である。
読んでて悲しくなったのは、代用調味料の項だ。卵なんか手に入らないからマヨネーズは作れない。けれど、道ばたの雑草や野菜屑なんかせめてドレッシングでも付けないと食べられない、ということで、代用マヨネーズの作り方も紹介されているのだが、それは、芋を煮てすりつぶしたものに、塩コショウを加えて酢で溶いたもの。
その他、代用調味料としては海草をどろどろに煮詰めた代用醤油など、そんなもの食わせてまで戦争すんなと言いたくなる代物がある。
読書中、なぜか司馬遼太郎の「項羽と劉邦」のことを考えてしまった。作中で描かれる項羽は戦に強いが補給のことなど考えず、3日分の食料以外は全て捨てさせ、勝利がなければ飢えて死すのみなどという背水の陣などの決死戦を敢えてする男だ。対する劉邦は戦は弱いが終始補給にこだわり、持久戦の末に項羽を倒して天下を得た男だ。
戦下のレシピ」で描かれる戦時下の衰亡振りを具体的なレシピ付で実感するにつけ、司馬遼太郎はこの両者の戦いを描くことで、旧軍の兵站軽視を批判したのかなという考えがふと浮かぶのである。
項羽と劉邦の時代はもちろんのこと、古代から今に至るまで、まつりごとの本質は民を食わせることだ。それを軽視した挙げ句、民衆に飢饉みたいな状況を強いることを辞さない大日本帝国はそもそも国家体制として失格だったのだろう。

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫) 項羽と劉邦〈中〉 (新潮文庫) 項羽と劉邦〈下〉 (新潮文庫)